今日、帰り際に何気なく読んだネットの記事に心を動かされた。
それは、新潟県の「長岡まつり大花火大会」に関する記事だった。
長岡まつり大花火大会は、日本三大花火大会の一つとして有名だが、
三大会で唯一、花火競技会ではなく、長岡空襲・戦争で亡くなった人の慰霊と
復興に尽力した先人への感謝、世界平和を願う想いが込められている花火だということを知った。
今年の夏は、新型コロナウィルスの影響により全国の花火大会は軒並み中止となり、
長岡市の花火大会も戦後初めての中止が決まっていたが、
市民の想いもあり、「白菊」と呼ばれる真っ白な鎮魂・慰霊の花火は
例年通り打ち上げられることになったそうだ。
戦後75年間もつないできた大会の中止に暗くなるのではなく、
今年の数発の鎮魂の花火によって、命の尊さや平和への想いを改める考える機会となったとのこと。
記事をまとめると上記のようなあらすじになるのだが、
その数ページの記事を読んで、じわじわと何かに心が動かされた感じがした。
こういう時に感情だけが残ることがよくあるので、今回は改めて、
その「じわじわ」とした感動が何によるものか冷静に考えてみた。
暫くして、「話しに登場した人たちの想い」だったことに気づいた。
空襲を経験し家族を失った方が語った「平和でなければ花火はあがらない」という話や、
何世代にもわたって「白菊」を創作し続けている花火師の想いなど、
文章の中では語られていなかった想いの背景や、75年間にも受け継げられてきた背景、
たくさんの人たちの見えない姿と想いを無意識に想像して胸に響いたのだと思う。
見えない相手の気持ちや考えを想像して、
嬉しくなったり、悲しくなったり、感動したり、
人間は、想像する生き物であることを改めて感じさせられる。
自分もそういう感動を誰かに与えられたらいいなと思う。
言葉に出来ていない日頃の感謝の気持ちを、プレゼントで表現するのも良いかも。
こっそり自分の為に色々と考えて準備してくれる姿を想像するだけで幸せな気持ちになる。

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