2013-02

出来事

権威

この頃、社会が「音を立てて」変わっていくように思える。以前からそれを望んでいた自分としてはカタルシスさえ感じるほどである。以前、日本人としての個の自立について触れたことがあるが、まさに今、日本人は個を尊重しつつ和を尊ぶ世界へと入りつつある。権威、権力の、ある意味での崩壊である。 昨今話題になってスポーツ界を始めとする暴力問題がまさにそうだ。権力のあるものが絶対的真実を握り、下は従うことが美徳とされる。しかし、これによってもたらされているのは権力者たちの倫理的崩壊である。オリンピックの金メダリストだって権力を利用した暴行が許されると考えたのである。これは柔道界の権力者が権力を持って何をしていたか、業界の構造的問題を示している。 日本社会では、年功序列で地位は絶対的なものとされる。学歴をかざしただけでひれ伏す人だっている。非常に盲目的で危険なことであると思う。個を個として認識していない。肩書きだけで成り立つ世界である。間違ったことを言い続ける上司に何も言えずに従わざるを得ずに転職を考える方も多いだろう。正しい見解を持った人の意見を取り入れれば大きく会社も変われるが、チャンスを逸している。「...
出来事

体罰事件に見られる教育と自主性について

大阪市立桜宮高校の男子バスケットボール部の体罰問題から、今は柔道女子全日本の件など、体罰問題の議論の余波が広がっている。体罰議論については今に始まったことではないが、解決されていないのはこの問題の根が深いことを示唆している。最初に個人的な見解を示しておくと、体罰はいけないことであると思っている。とは言え、自身が小学生の頃は同じ班の誰かが忘れ物をすると、全体責任で班全員が一列に並び、頬を引っ叩かれて育った。それでもその先生が大好きだった。みんなもその先生が大好きだった。たぶん、自分たちのことを誰よりも一生懸命に考えてくれていたし、親のように愛情いっぱいに褒めてくれたし、叱ってくれていたとみんなが実感していたからだと思う。そういう経験はあるが、「お前たちのためだ」と教育・指導を盾にして勘違いした独りよがりな暴力行動とも言える。体罰は「怒られないこと」や「殴られないこと」を目的としてしまい、本質的な「どうしたら勝てるのか」「何をどのように解決すればいいのか」を自ら考えることが出来なくさせてしまうのではないだろうか。小さい子供が親から怒られることを怖がり、「お母さんに怒られるから・・」と親の顔...