2012-11

ルール化

サービス業

「人を見て法を説け」という古い諺がある。人に合わせて話すというお釈迦様の行為を語った言葉であり、「論語」にも同じ趣旨のことが書いてある。私たちは、法を説くというほど大げさなことはしていないが、弊社がキャリアのご提案をするにあたっては、相手のご関心・ご経験・お考えを思って、その方の心に染み入るような話をしたいと思うと、おのずと話し方、たとえ話なども、おひとりお一人に対して違ったものになってくる。その方のことを思い浮かべながらメールを書くとき、ご趣味の釣りを週末楽しみにされているだろうな、などとあれこれ思いをめぐらせながら書くと、自然に、本題に入る前に、筆が走って、釣りの話をしてしまったりする。今書いたことは、サービスのうちには入らないと思う。そもそも、私たちは人材紹介サービス業界に身を置いているが、「サービス業」というもの自体の難しさがある。「サービス」というのは、日本語にするのが難しいが、仕えるという行為であり、「お客様のために何ができるか?」ということだと思う。次に続く「業」という言葉は、仕事なので、「サービス業」というのは、より高いサービスを目指すことを仕事とする、という意味だと思...
ルール化

習慣化しておきたい大事なこと

年末が近づいてきており、サラリーマンの私達には待望のボーナスの時期がやってくる。先週末行ったお好み焼き屋にて隣の席に座っていた3人組の20代の若者達が年末のボーナスの使い道について話していた。半ば職業病であるが、お隣さんの職業が気になり断片的な話しから各々のメンバーの職業を想像してみた。何かしらの営業マン、公務員、アパレル系の店員であると想定された。各々、海外旅行、貯金、年始のセールにて買いたい洋服がある。・・・等が主な使い道のようであった。話しの中で「お前の会社はボーナスが良くて羨ましいなぁ」というコメントが出てきた。そのときに一人の若者が「お前は定時で仕事終わるだろ?俺は週末も忙しいんだから当たり前だよ」みたいな切り返しをしていた。実際に週末の夜であったのにも関わらず、彼のケータイには仕事の電話が何本も来ており、その都度「いつもお世話になっております」と軽快な対応をしていた。ボーナスの使い道や額はともかくとして、自分達の目的の為に日々の仕事を精一杯頑張る姿勢に、好感を覚えた。日々、様々な転職希望者の方とお会いさせて頂いているが、客観的に見たご自身の能力と関係なく年収UPを希望される...
ルール化

「気づき」についての気づき

年末のお大掃除に先がけて、休みを利用し家のホコリを1つ残らず吸いだしてやろうと掃除機を手に取った。途中からほんの少し掛け心地に違和感を感じながらひと通りかけ終わったので、スイッチを切り、ヘッドの部分を見てみると輪ゴムがローラーのようなものに引っ掛かっていてぐるぐると巻かれていた。原因はこれだったのかと思いながら、もっと早く止めて確認すべきだったなと思う。ゴムが幾重にも絡みついているものを剥がし取り、ちょっとしたこういう違和感に年々鈍感になってしまっているのでは無いかと考えてしまった。一時『鈍感力』や『細かいことでくよくよするな』に代表される精神的鈍さや大らかさをテーマした本がベストセラーになり、感情的ストレスに多数晒されるこの情報化社会において、鈍感さというのが個性ではなく、一つのスキルとして個人に求められる時代になってきたのかとそんなことを思っていたものだ。もちろん、神経質が服を来て歩いているなんて言われてしまう、典型的な小うるさいタイプの自分には関係の無いことだと思ってきたが、ちょっとした「違和感」に気づかなくなり、というか気づいてもその「違和感」の原因を突き止めようとしなくなった...
ルール化

相互認識の大事さ

最近は、「人の気持ちを理解することが出来ない人」が増えているそうだ。私もお客様や周囲への気遣いや心遣いを心がけているが、“ついつい”ということも少なくないので反省すべきなのだが。先日、幼稚園の園長をしている友人と話をしていて、なるほどと思うことがあった。小学生になるくらいまでは、子供は自己の認識と他人の認識に区別がつかないため、他人の気持ちを考えることが出来ないらしい。それが良く喧嘩の原因になるようだ。例えば、鼻水を垂らしている子供とそれを見かけた子供がいた時、鼻水を見た子供の方は親がしてくれたのを真似して「自分が鼻を拭いてあげよう」と良かれと思い、ティッシュを持って鼻水っ子に近づく。一方で鼻水っ子は自我が芽生え「自分でやりたい」と思っているので「やだーっ」ドーンっと相手を突き飛ばす→泣く。ということとなる。両者とも相手がどう思っているかは理解できないので、「なんで」「なんで」のぶつかり合いで、終いには喧嘩になるらしい。そういう場合は、「○○君が嫌がっているでしょ、やめなさい」とどちらかをなだめて喧嘩を制するのではなく、正しい教育としては、「○○君は自分でやりたいんだって」と「○○ちゃ...
キャリアについて

過去でも未来でもなく、やっぱり「今」

男性の場合、おしゃれだとかファッションだとかへの興味関心は人によって差が激しく、ほぼほぼ二極化していると思う。普段スーツでバシッと決めている上司のオフの姿を見て驚愕する…なんていうことはざらで、年齢が高くなるにつれてさらに無頓着指数は高くなる傾向が強い。自分はというと、若いときはとにかくおしゃれをするのが一番の趣味だったが(ニーズがあったかどうかは別として)、今は無頓着領域に片足を突っ込みつつある状態といえる。年を重ね、体型も変わり、自分の服より子供の服をという思考になってからさらに加速化している。にもかかわらず、愛着のある洋服は今でも捨てられず、何年もタンスの肥しになっている。そんなことを考えていた際、少し前に流行った断捨離という言葉を思い出した。すでに一過性のものではなくそこそこ定着した感のある言葉だが、一般的には「ものを持ちすぎることで何が本当に大切なのかという本質が見えなくなるので、まずは身の回りの整理整頓、それが最終的には心や思考の整理につながる」という考え方と定義されているようだ。キャリアについても同じようなことが言えて、他者との比較や周りの評価のみに焦点を当てると、本当に...
ルール化

脚下照顧

良く聞く言葉ではありませんが、非常にアナログかつ大切な言葉です。現在日夜、様々な方と転職に対するお話をさせて頂いておりますが転職にかける希望や思い、欲求など本当に十人十色です。一つとして同じような方はいないのでしょう。もちろん、ご相談頂いた方々に対して希望条件を満たす、あるいは近づく求人案件をご紹介していくことが我々の事業となっているのですが、必ずしも転職をお勧めするということではありません。まずはご相談にこられた方々のお話を真摯に拝聴致します。それから転職先企業に対する希望や思いを続けて確認することが多くなります。ここで問題なのは表題の言葉です。日々の行動の振り返りをすることなく現職に不満を募らせて、転職先に有らぬ期待を持つ方がいらっしゃるのです。そういったケースの場合、弊社ではまず振り返りを提案し、現職で出来る事を真剣に考えて頂くことにしております。現職での振り返りを行わず転職しても、おそらくは転職を繰り返す事になると思います。当ブログで何度も申し上げているのですが、転職はいたずらにしないに越したことはありません。実際にお話させて頂くことで、転職を考え直す方も多くいらっしゃいます。...