2012-04

ルール化

Raison D’être(存在理由)

コアでは、クライアント企業様について、とことん考える勉強会を週1回行っている。最終的には、クライアント企業様の課題などをお伺いして、組織活性や事業推進に当たってどんな人材をご紹介するのが一番望ましいのか等を話し合うのだが、最初の打ち合わせでは、その企業様の存在意義について話し合う。単純なことなのだが、どんな事業をされていらっしゃるか、強みは何か、弱みは何か、競合との差別化は何か、そして社会から必要とされている理由を考える。人から必要とされ続けるには理由がある。それこそが、その会社の存在意義である。即ち、強みであり、差別化されたものなのだ。例えば、一見、似た商品群を持っている2社の日用品メーカーでも、1つは人々の暮らしに変化をもたらすことがそもそものコンセプトである会社と、もう一方は、気がつけばいつでも身近にある商品づくりをコンセプトとしている会社があったりする。結局店頭に並ぶ商品は似た展開となっている可能性はあるが、そのコンセプトや会社の求める姿によって、売り方や商品自体も変わってくるのである。すると、同じ量販店向けの営業経験を持つ候補者でも、その企業のコンセプトにあった売り方や提案の...
キャリアについて

万年筆

父からもらった万年筆、どうも書きっぷりが悪い。そこで伊東屋へ万年筆を探しに行ってみた。さて、どう選ぶか。デザイン、質感、レア物・・いろいろな基準がある。ぱっと見て、親指の付け根のところに重心があるものが気に入った。万年筆の重みを感じながら、ペン先はさらさら滑るようになっている。この重みも、万年筆と寄り添っているようでたまらない。そうか、重みの位置が合うもので選んでみよう。そして、同じメーカーの別のデザインのものを手にとってみた。しかし、こちらは自分の手にそぐわず、重心の位置がより後方にきて、万年筆に操られているような感覚に陥った。 うん、手の大きさに合うものを探そう。店員さんに、別のメーカーで自分の手のサイズに合うものを何点か出してもらう。これは、ぴたっとくる。さて、問題の書きっぷりはどうか。滑るように、英語で自分の名前を書いてみる。素晴らしい書き心地である。滞ることなく、紙面に流線を残してゆく。ほぼその万年筆に決めかけていた時、ふと、「美しい日本の風景」という文句が目に入り、自分もきれいに文字を書いてみようと、筆を滑らせた。・・あれ??何か、おかしい。固い。漢字がうまく書けないのだ。...
ルール化

料理

道理、条理、摂理、合理、義理、原理、定理・・「理(ことわり)」という語の使われている単語はいくつかある。その中で、先日NHKのプロフェッショナルで放送されていたのが「料理」である。「理(ことわり)を料(はか)ること」その素材の本質をあぶり出し、よりそのものらしく提供するため、ものすごく努力をしている。 一番印象に残ったのが、鮎の塩焼きだ。口を大きく開けて焼くことで過剰な湿度を調整し、内臓部分に一刺しすることで香りが引き立つようにしている。また、まるで川底で泳いでいるかのように見せるためであろうか、ヒレの部分を立たせて焼き、実際に皿の上に立たせ、その力強い泳ぎを表現しているかのように見えた。 うちの家内は、食材とその組み合わせ、その日の湿度や気温、私の体調によって、使用する塩を変えて料理している。アンデス、ハワイ、沖縄、小笠原、伊勢、ガンダーラ、イタリア、カナダ、南極・・と、10種類以上のも塩を使いこなしている。その合わせ方にも必然的な「理」があるのだという。長年料理をしていると、直感的に必要な塩に手が伸びるという。従って、料理中は本気で、なかなか近づけるものではない。  我々の存在価値...
ルール化

温故知新

東大で、サンスクリット語の初回講義に300人を超える学生が押し寄せ、大騒ぎになったそうだ。「Web R25」から下記引用する。「4月10日の午後1時から2時ごろ、東京大学教養学部で1、2年生を対象としたサンスクリット語の講義が行われ、その出席者が多かったという理由で、「サンスクリット」というワードが、ツイッターの東京エリアでトレンドに表示される珍事が起きた。」ヒンドゥー教や仏教で用いられる古典インド語なので、例年参加者数は一ケタ。今回の騒動は、単位が取りやすいという噂が理由のようだ。しかし、本当にそれだけで300人も集まるものなのか。新入生の求める「優」評価と単位取得には、極度に複雑な文法の暗記と、半年間の全出席が必要だが、東大生といえど、よほどの精神力がないと勤まらないそうだ。不確かな時代に、いつの時代も通用する考え方、日本人の源流をなす考え方を東大生は求めたのではないだろうか。上村勝彦・風間喜代三著『サンスクリット語・その形と心』(三省堂)のまえがきより、下記引用する。「仏教が日本人のものの考え方に大きな影響を与えたということは否定できないことである。そして,日本仏教の理解には,じ...
ルール化

携帯電話盗難騒動事件

嘘のような話を最近経験した。職場で段ボールのゴミを出すときに、誤ってその上に個人携帯を置いてしまった。3分ほどして気づいて戻ると、段ボールはそこになかった。携帯電話もなくなっていた。GPSと連携した「iPhoneを探す」という機能を初めて使うと、私の携帯電話が職場PCの地図上で動いていた。携帯電話は、職場から数km離れた、弊社社員が普段行かないところをうろうろしていた。不法業者が持ち去ったものと思われる。すかさず上司が声をかけてくれた。「タクシーに乗り、携帯電話を追いかけるんだ。自分はここで、職場から君の会社携帯に電話をかけてナビゲーションする」。GPSは1分ごとに更新されるので、場所にどうしても誤差が出る。「駒沢通りを直進!」とか「そこの交差点を右折!」とか「今来た道を戻って!」とか、ナビゲーションを電話で受け、幾度か行ったり来たりを繰り返しながら、対象物の近くまでたどりついた。しかし、不法業者の姿が見当たらない。タクシーを降りて、右往左往しながら歩いて探すと、結局職場の近くに戻ってきてしまった。iPhoneが地図上で全く動かなくなったが、不法業者らしき人の姿も、携帯電話も見つからな...
ルール化

本物のサービスとは

柔らかい日差しとパステルカラーが合う季節になったので、イメージチェンジをすべく美容院に行って来た。かれこれ10年以上も同じ人に担当してもらっている。同い年だから、お互い社会人となった頃からの付き合いだ。今や彼は店長となり、美容学校出たての20歳前後のスタッフを育て、店舗経営をする責任者となっており、そろそろ自分のお店も持つことも視野に入れているようだ。今日は店長さんの話をしたいわけでないのだが、彼のマネージメントにおける、こだわりの1つに、「若手は褒めない」というのがあるらしい。彼らは「頑張って当然」なんだと言う。誤解ないように追記しておくと、3年目以上の中堅は褒めることもあるそうだが、世の中、コーチングやら褒めて伸ばす傾向にある中、ある意味新鮮だった。そして大きな方向性は伝えるものの、具体的にそのために何をすべきかを、「自分で考えること」をルールにしているそうだ。その結果なのか、そのお店は、「とても気がきく」スタッフが多い。お客さんを楽しくさせたり、居心地良くさせたり、各々が思うサービスの提供を心がけているのだと感じることが出来る。一辺倒なマニュアルには無い爽やかな対応で、満足した気...
余談

死生観

前回書いたことと直接の関係はないが、このような二分法は、例えば死生観にも適用できると思う。元気よく生きてぱたっと死ぬのが幸せなのか、それとも、例えば癌の宣告をされて、ゆっくりと近づいてくる死を受け入れて死ぬのが幸せなのか、どちらを幸せと感じるか、ということだ。死生観とはある意味で、数ある価値観の指標の中で究極のものであるため、このような質問は、その人が本当に何を大事にしているかを理解する上で有効である。さすがに、このような質問を、弊社の面談の場ですることは少ないが、聞かずとも、転職者様がどちらのタイプの方なのか見極めることも必要である。その方が何を大事になさっているか深く理解しないと、本当に役立つキャリアカウンセリングはできないというのが弊社の考えだからだ。ところで、先ほどの死生観に関して、両者の考えには、共通するところがある。例えば、「よりよく生きたい」という思いだ。このように、相反する二つのものを統合することを、哲学用語でアウフヘーベンというらしい。止揚(しよう、独: aufheben、アウフヘーベン)は、ドイツの哲学者であるヘーゲルが弁証法の中で提唱した概念。揚棄(ようき)ともい...
余談

アポトーシス

「ものごとにはいつも相反する二つの性質がある」と考えると折り合いがつく。というのが、弊社代表の口癖のひとつである。それを弊社ではアポトーシスと言う。「アポトーシス」を考えて!などと言う言葉が社内を飛び交う。アポトーシス (apoptosis) とは、多細胞生物の体を構成する細胞の死に方の一種で、個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる、管理・調節された細胞の自殺すなわちプログラムされた細胞死のこと。アポトーシスという用語の本来の使い方ではないと思うが、人類全体を一つの個体として捉え、人間一人ひとりを細胞として考えると、人類が生き残るために、人間一人ひとりはいずれ死ぬ運命にあるという見方もできる。この死すべき定めの中で生きるか、死すべき定めに逆らって生きるか、という相反する二つの性質の顕著な例として、芸術と経営があると思う。前者は芸術である。ゴッホとその作品は生前、評価されなかった。しかし、ゴッホの絵の価値は不変で、ゴッホの死後、非常に評価された。作品が生き残り続けるという点で、ゴッホも語り継がれる。人の死すべき定めの中で生きるもの。といえるかもしれない。芸術と対照的なのが、...