2012-07

ルール化

古典を超える

ヒット漫画『ヒカルの碁』にも登場した棋士・本因坊秀策は、江戸時代の人だが、昔から現代までを通じて、史上最強の棋士と言われているそうだ。しかし、秀策の後の名人達は、秀策のスタイルを破ろうとして、違う打ち方を試みている。その結果、現代の布石なり打ち方は、江戸時代よりも進歩しているそうだ。これを捉えて、前回のブログで紹介した棋士・呉清源は、こう言っている。「決して、昔のまねをしてはだめなのです。」百歳を過ぎてなお、毎日八時間の研鑽を積む人が言うと、深い。この言葉を最近知って、私は、胸が突かれる思いがした。昔のものなり古典は完成していて、現代の私達は、それをいかに忠実に実践するかが大事だ、と思っていたからだ。そんなことを考えていると、清王朝時代の中国を舞台にした漫画を思い出した。歴史のある中華料理店で料理人を務める主人公が、「この店の伝統は何か」と聞かれ、「伝統を打ち破ることでございます」と答えるシーンがある。8月10日のブログで書いたように、「古典を現代的に適用する」ことが最上だと思っていたが、そうではない。革新が大事なのだ。古典を超えるなんて恐れ多いと思っていたが、よく考えれば、お手本を模...
ルール化

真髄は調和にあり

度々父の話で恐縮だが、将棋が趣味の父に、囲碁の相手をしてもらった。父は、将棋に比べると、囲碁の経験は、あまりない。それでも、将棋同様、ハンデをつけてもらっても、また、負けてしまった。対局後、父が、ふと感想を漏らした。「おまえは、俺の石を攻めているとき、『攻めた結果、地合い(=陣地)を得よう』というのではなく、本気で俺の石を取ろうとしているよなあ」どきっとした。囲碁をほとんど打ったことがないのに、本質を突いたことを言うのは、将棋を極めたからだと思う。実際、二十世紀を代表する天才囲碁棋士・呉清源先生は、「囲碁の真髄は調和にあり」と考えている。「勝負事なのに、調和? そんな甘っちょろいことを言っていていいのか?」私は、最初そう思った。しかし、呉清源先生は言う。「碁は調和の姿だと、私は考えます。碁は、争いや勝負と言うよりも、調和だと思います。」「碁の勝負は普通の勝負とちょっとちがうと、私は思います。そこには人為的なものが少なく、ほとんど自然の現象というべきで、自然の現象を、ただ勝負と名づけただけではないでしょうか。」何か、悟ったような、仙人の言葉のようだ。言い換えると、「勝負事の真髄は、譲り合...
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まことの花

皆様のお引き立てのおかげで、いろいろ受賞させていただいたおかげか、最近は弊社にも、お取引が初めての有名企業様から「人材を探しているのですが……」と電話がかかってくるようになった。創業まもない頃を思えば、隔世の感がある(といってもまだ1年半だが)。しかし、能を大成した世阿弥の『風姿花伝』を何気なくめくっていたら、自分の思いを代弁してくれているようなことが書いてあったので、思いを新たにする意味で、引用したい。「新人であることの珍しさ、つまりその時だけの「時分(じぶん)の花」による人気を本当の人気と思い込むのは、「まことの花」(芸の真実の面白さ)には程遠い。そんなものはすぐに消えてしまうのに、それに気付かないことほど、おろかなことはない。そういう時こそ、初心を忘れず、稽古に励まなければならない。」何事も基本と初心が大事ということなのだろう。なお、この後、こんなことが書いてあり、焦りを感じた。「上手になるのは、34~35歳までである。40を過ぎれば、ただ落ちていくのみである。」能とは違うかもしれないが、もうすぐ34~35歳を迎える身としては、危機感を覚える言葉である。「初心を忘れず、稽古に励ま...
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争点の違い

先日、帰郷のとき、将棋が趣味の父にまた一局手合わせしてもらった。12月7日のブログで書いたことだが、以前対局後の感想戦のとき、「おまえはここで二筋の歩を突いて負けたが、一筋に歩を垂らせば勝っていた」と言われたことがある。今回似た局面になったので、今度は一筋に歩を垂らしてみた。確かに、以前の対局より私が有利な形勢になった模様だ。(私からすると)複雑な局面になり、読み切れなかったので、思いきって指してみた。その後父の口からぼそっと出た言葉は、かすかに芽生えた私の淡い希望を、根こそぎ奪った。「それだと君は勝てない……。」指してみると、確かに負けてしまった。一か所をめぐって争う局面になっていたのだが、先手と後手の戦力差を数えてみると、私は違う箇所で争わないといけなかった。違う場所を争点にしていれば、勝てたようなのだ。今回の教訓は、事前に読み切れる場合は、見切り発車で進めてはならないということ。争点の違いによって、勝敗が決まりうること。仕事にも生かせるので勉強にはなるが、駒落ちでも父に勝てるのは、相当先のことになりそうだ。