2023-06

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思考の蓄積はAIに勝る

Chat GPTがリリースされてから、AIの活用事例や、賛否を問うようなニュースを目にする機会が増えている。6月28日(木曜日)の日本経済新聞に、「AIを搭載した初の政府顧問」として、ルーマニアで行政に活用された取組みが紹介されていた。SNSなどに投稿されている国民からの要望を自動で拾い上げ、政府に報告することで民意を可視化するものだ。AIの利点の一つに、人が介すると途方もない時間を要するデータ解析を瞬時に行い、膨大な情報の中から、問題点や最適解を示唆できることがあり、ビジネスシーンでの生産性や正確性の向上に寄与している。しかし、膨大な情報を解析して導き出したもの=公平で最も正確性があるということにはならない。作られた文章が意図的に情報操作された可能性もあれば、システムの不具合等で誤った情報が発信されることもあり、生成AIの不具合の事例も報告された事例もある。仕事をする以上、AIの活用に関わらず、情報に振り回されず、活用する側になりたいと思うところだが、それは日々のインプット・アウトプットの思考習慣で決まるだろう。例えば、朝のニュースを誰かにアウトプットする場合、信頼できる情報源であろ...
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修造チャレンジ

同僚の机の上に松岡修造氏監修の日めくりカレンダーが置いてある。かなり昔のものだが、書かれているメッセージは想像通りで「目指せ自分チャンピオン!」など熱さ溢れる仕上がりになっている。ファンじゃないのについつい眺めてしまう不思議な魅力がある。先日新聞にアメリカの会社がまとめた「職場環境調査」の記事があり、それによると日本は対象国145か国で最下位、仕事への熱意や職場への愛着がある社員は全体の「5%」との事だった。鵜呑みにするわけではないが、20人に1人しか「この仕事が好き」だと思っている人がいないならば、何とも寂しい結果だと率直に思う。仕事柄、様々な業界、年齢、職種の方とお話をする機会が多いのだが、その中で必ずお聞きするのが転職理由だ。これもまた理由は様々だが、多いのは人間関係や会社の評価、経営の方向性等になるだろう。妥当性がある様に感じられるのだが、少し掘り下げて話をお聞きすると「うーん、言うほど悪い会社ではないな…」という見方に変わるケースも多い。そういう場合、ご本人の「不満」に対しての向き合い方や取り組み方にあまり主体性が無かったり、自分本位である点が共通していると思う。耳が痛い話だ...
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オーバーワーク

近年、日本の職場は「ホワイト化!?」が進んでいる。「働き方改革関連法案」「パワハラ防止法」などの法律が施行された。さらには、コロナ禍でテレワークが拡大したことによって、数十年前にくらべるとビジネスマンにとっての就業環境はずいぶんと改善されたと言われている。しかし、多くの方のホワイト化の半面、その反動で負荷が多くなっている人がいるとも聞く。というのは、経営サイドは働きやすさという環境を与える代わりに、見合った成果を求めるからだ。その結果、会社が知り得ない「隠れオーバーワーク」に悩む人も多い。オーバーワークに悩んでいる人の多くは、能力の差はあったとしても会社からの期待に応えたいという想いは強いように思われる。そして、がむしゃらに成果を追い求めた結果、勤務時間内に終える自身のキャパシティを越えて、深夜や休日に仕事をし続けるというループから抜け出すことができなくなっている。会社の期待に応えるのは当然のことだが、自身への過度な負担は自滅の一途をたどる。一方で、マイペースで仕事に取り組む人もいる。一定のペースで仕事をこなすので、突発的な対応等が増えるとその分の時間がどんどん加算されていく。自身の作...
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英語を話すために必要なこと

最近ではリスキリングが注目されていることもあって、英語力を身につけることを目標にされている方も多いだろう。Googleで「英語を話すために必要なこと」と検索にかけると、英会話教室のホームページがずらずらっと並び、相手に伝わる英語を話すために正確に発音すること、目標を持ち継続することなど英語を勉強するために効率が良い方法について記載されているものが多かった。これは私自身の経験なので、異なる意見もおありだと思うが、英語を話すために必要なのは、「度胸」「教養(基本の知識)」そして、「自ら考え自らの意見を持つこと」だと思う。私は、高校を卒業してすぐに留学させてもらったため、あまりにも世の中のことについて知らなすぎたように思う。最初に通った語学学校では、世界中の人たちが集まっていたが、どこの国とどの国は歴史的背景から仲が良くないようなことは全く分かっていなかったし、物事の道理すらよくわからず、「そんなものなんだ」で済ませてきた。何も知らなかったからこそ、柔軟に吸収できた面もあったと思うが、いざ授業で討論したり、世界の異なる文化圏の人たちとある出来事についてディスカッションしたときも、何を話したら...
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ダジャレ

「布団が吹っ飛んだ」「いくらはいくら?」「帽子が飛ばされハットする」などなど、昭和生まれの人達はよく耳にしていた「ダジャレ」。当時は、お笑い芸人がテレビでネタとして使っていたり、学校では友達同士で言い合っていたり、子供から大人まで幅広く浸透していた「ダジャレ」ですが、いつしか「オヤジギャグ」と呼ばれて、若者は使わなくなり、年配者も「オヤジギャク」と言われると恥ずかしいという思いが先行し、今では絶滅危惧種のような扱いになってしまいました。そもそも、「ダジャレ」の語源は、日本の貴族や華族のたしなみである「洒落」の中でも、その程度の低いもの。ということで、駄目な洒落→「駄洒落」と言われるようになったという説があります。「洒落」は、貴族や華族の嗜みとして必須の教養のようなもので、その昔は、和歌を詠む時に多用される掛詞(かけことば)に似たものでした。同音異義語を、瞬時に組み合わせ、元々意味のない2語で面白い短文を作り上げる(少なくとも本人は)。まさに「かけことば」の世界観と同じです。きっとこれがヘタであると、当時の恋は実らなかったのかもしれません。今このブログを読んでいただいている皆様の中で、最...