未分類 それは、誰のためか?
6歳になる息子が、日課の宿題をするのをごねた。本人が納得できるように説得を試みたがうまくいかない。「じゃあもう今日でやめていいよ。無理矢理やらなくてもいい」…とプリントと鉛筆を取り上げて鞄にしまった。最終的に、息子は泣きながらなんとか宿題をこなした。「これって…親として必要なことだよな?」と自問しながら、なんとも言えない気持ちが残った。心の動きはこんな感じだ。「【ゴール】子供が生きる力を強くしたい」←「子供に賢くなって欲しい」←「継続して勉強する習慣をつけさせたい」 ←「自主的に宿題をやらせたい」←「宿題を日課として約束させたい」←「問題を解く面白さを感じさせたい」←「算数に興味を持たせたい」←「一緒に数字で遊んでみる」←「数字を覚えて欲しい」子供のためにとはいうものの、その中身は「〇〇したい」という自分の気持ちのオンパレードだ。要するに指導でもなんでもなく、思い通りに動いてくれない息子に苛立っただけなのだ。家庭でも職場でも、子供や年下、経験が少ない相手に対しては、精神的に優位に立ってしまい、先ほどの様な勘違い行為をしがちだ。その時点で教育や指導ではなく、自分のエゴを出す場所でしかなく...