2015-04

ルール化

新たなるスタート

「パパのお仕事って何屋さん?」眉間にシワを寄せながらネクタイを何度か締め直している私に幼稚園の制服に着替え終わった娘が突然聞いてくる。社名を言えば誰もが知っているであろう企業だが、相手が子供だけにこう言った。「ん~◯◯屋さん」目も合わせずにさらっと私。「ふぅ~ん」と顰めっ面の彼女。だが、彼女の目を見ながら笑顔で言えない自分がいた。この子が大きく育っているのもこの会社のお陰なのに。何故だろう。考えてみるとやはり誇りを持って仕事をしている人間とそうでない人間とでは内に秘めているものがまるで違う。私は、当時、後者だったのかも知れない。仕事という労働契約に伴い、求められる数字の要求にも応えてきたし、実績も積んできた。作り笑顔でお客様に接していたのかも知れない。ふと、車のバックミラーに映る顔を見た時、曇った表情の自分に照れ笑いしてしまった。娘の目を見て笑顔で言えないのもそう言うところからくるのだろう。本当は物心つく前から彼女に言いたかった。「パパは◯◯の仕事してるんだぞ」って。「すごいだろって」。誇らしげにでもそうは言えなかった。世の中には自分のやりたい仕事が出来ている人はどれくらい存在するだろ...
ルール化

先が見えない時こそ堅実に

学生の頃、映画やドラマを夢中になって観ていた時期がありました。好きな事にいくらでも時間を注げる状況でしたし、何よりも劇中の人々の気持ちの動きや物語の展開に素直に引き込まれていた記憶があります。今でも時折DVDを借りて観たりしますが、「これは面白い」と感じることは昔に比べて少ないような気がします。年齢を重ねて私の感覚や好みが変わっただけかもしれませんが、一つの要因としては、取ってつけたような展開や、とにかくクライマックスに向けて盛り上げようとする意図が強すぎてしまうため、途中で白けてしまう事が多いからだと思います。要は、演出があまりにも過剰で表層的、短絡的なのでわざわざ時間を取って観るに値しない作品が多いと感じてしまうのです。これは映画やドラマの話ではありますが、現実世界でも同じ事を感じる場面はあります。例えば、消費者としてモノを買ったり、サービスを受けたりする際に思う事ですが、あまりにも短期的な消費活動を扇動するプロモーションや、時流に乗りすぎた製品を見ると、やはり食傷気味になり一歩ひいてしまいます。マーケティングの凄さは認めますが、提供する側から「こういうの欲しかったですよね?」とあ...
ルール化

新しい居場所

2歳半の息子が保育園に入ることになり、入園式に出席した。保育園の倍率が高い中で抽選を通過できたことは、非常に幸運だったとしか言いようがない。息子の通うことになる保育園の建物に入って、新鮮に感じたことの一つは、靴箱やロッカー、机に息子の名前が書いてあることだった。今は全快し、何の支障もなく毎日を送っているが、息子はかつて長い間入院していた時期があり、今まで自宅以外で息子の名札を見る場所といえば、病室だった。そのため、今回他の場所で息子の名前を見たときは、一瞬時が止まったと感じる程驚いた。また、保育園の先生方と話すと、心から歓迎してくださっているのが感じられた。普段支えてくれている周囲の人達、具体的には家族や親族、職場の仲間や友人以外に、息子の居場所が新しくできたのだと実感し、日頃から支えてくださった方々への感謝で、胸に熱いものがこみ上げてきて止まらなかった。入園式では、先生方がお祝いの言葉を話してくださり、年上の園児たちが歌を歌ってくれていた。息子も、周囲が歓迎してくれている場の空気を本人なりに感じ、喜んでいるようだった。ここが、彼の新しい居場所になる。人は、必ず何かの国や地域、団体や組...