こなし作業の罪

子供の塾の勉強の仕方が気になり、本人と話をした。
一応、さぼらずに通っていて宿題もやれている。
見ためでは悪い事はしていないのだが、
何と言うか「出来るようになりたい」という意思が全く感じられない。
「ただ、こなす事」の何がいけないのかを、うまく説明する事の難しさを知った。

子供の勉強については「やる気スイッチ」という表現で、
自ら動く状態にする大切さが説かれる事が多い。
大人で言えば「目的意識」とか「自走」というところだろうか。
何かを手に入れ、成し遂げるためにはいつもの自分ではダメ、
負荷をかけないとたどり着けないとわかっていても、
「つらい事をいかに避けるか」という逆算から始まると完全に本末転倒な状態となる。
目的の無いアクションは成長を阻害するので自分も、周囲(会社)も不幸にする可能性が高い。

仕事の種類や置かれた立場でも違うとは思うが、
日常の通常業務には注意を払えるものの、
対人の絡む業務、非日常な対応を必要とする業務に対しては
一気にパフォーマンスの低下が起こることがある。
経験を積んで熟練度が高まる事と、慣れによって緩む事は
対極なのに見かけは同じなのが厄介で、
自分でも気づかぬ間に、キャリア価値と寿命を減らすこととなる。

むしろ、年齢を重ねて慣れの弊害を受けやすい分、
改めて目的意識の点検が必要だと思う。
マネジメントが上手くいかないのは、
自分の「こなし作業」が相手に伝わっているからかもしれない。
どんなに慣れた仕事や環境であっても、
目的意識の欠落は、かけてきた時間も労力も無にしてしまう。
流行りの「ゆるい職場」だと思われることだってあり得る。

先週末、「じゃあ、学校を見に行って見るか?」と子供に提案し、
初めて志望校を見学しに出かけてみた。
文化祭の季節で、運良くその学校の生徒さんとも話が出来た。
本人に目的意識というやる気スイッチが入ったようには全く見えないが、
物理的にも心理的にも距離感だけはつかめたかもしれない。
やはり自分事として考えられるかが第一歩だ。

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