映画の授賞式で俳優が司会者を平手打ちした、
というニュースに様々な人が反応している。
当初は「男(旦那)としてカッコいい」などの
好意的な意見が多かったように思うが、
時間が経つにつれ「暴力は絶対ダメ」という
風向きに変わりつつある。
最悪、会員から登録抹消される等
極めて重いペナルティを課される可能性が出てきた。
ハリウッドの受賞式だと現実離れしているので、
例えば、普通のオフィスにシーンを置き換えてみる。
家族をからかった同僚をいきなり殴ったとなれば、
もはや美談というよりも、かなりやばい人物だろう。
組織における彼の立場は相当危ういものになるだろうから、
家族を守るという本来の動機からすれば、真逆の結果になる。
今回の俳優さんにもいくつかの選択肢があったはずだが、
直接的暴力を選んだ背景には、大スターとしての「驕り」や
自分がどう見られているかという「エゴ」の強さがあったかもしれない。
もちろん、本来俳優サイドは被害者である。
「からかい」や「いじり」はいじめと紙一重であり、
発する側にはジョークとして成立させるための技量がいる。
今回のプレゼンターも確信犯的アプローチだったと思うが、
事前準備やシミュレーションの時間が十分にあった中で、
「あえて」あのジョークを選んでしまうのはやはり「エゴ」のせいだと思う。
前提として、プレゼンターは黒子に徹するべきだと思うが、
自分のためのウケを取りに行き、文字通り痛い目を見ることになった
(コメディアンはそれもおいしさに転化できるのだろうが)。
誰かのためにやっていたはずなのに、
エゴや承認欲求のせいで自分中心になってしまう事はよくある。
また、人の言葉や感じ方は複雑で奥深いものだと思うが、
自分中心の意識が強くなってしまうと、
その解釈もご都合主義で表面的なものになってしまう。
厳しい意見に見えて、とてつもない優しさが背景にあったり、
応援している体で崖から突き落とそうとするものだったりを
自分で判断し、見極めることが難しくなってしまうのだ。
相手の本心がどこにあるかはわからないにしても、
自分の「意識の矢印」がどちら向きになっているかは、
少なくとも意識しておきたいと思った出来事だった。

コメント