それぞれの物語をつなぐ

10月となり各企業で内定式が行われる時期となった。

今年は大手消費財メーカーが仕掛けた「内定式の髪型を自由に」という
キャンペーンに多くの企業が賛同し、いわゆる“黒髪”“後ろで纏める”様な
旧来のリクルートスタイルではなく、それぞれの自分らしさを出した髪型で
内定式に出席した学生も多かったと聞く。
この「自分らしさ」という言葉には賛否様々な意見がある様だが、
就活において学生の立場が強い以上、
今後もこのスタンスに追従する企業は増えていくのだろう。

ちなみに、調べてみると今のような「リクルートスタイル」が
就活の常識として定着したのは2000年初頭の頃のようだ。
バブル崩壊後の就活、いわゆる氷河期を目の当たりにして
圧倒的買い手市場に対応するための学生側の苦労が垣間見える。
実際、私自身もその時期あたりに大学を卒業しているので、
当時の就活生を取り巻く空気感を肌で記憶している。

当時、大学生から社会人になるというのは、遊びモードから本気モードへの移行、
もっと言えば「楽しさ」から「辛さ」に日常の色が変化していくような
何とも表現しがたいものだったように思う。学生気分から完全脱却は図れない中で、
「とりあえず服装から…」と買い揃え、少しずつ心の準備もしていくような、
そんな通過儀礼的な役割を画一的なリクルートスタイルが担っていた気がする。

自分の中に「内定式は厳粛にすべし」という感覚が少なからずあるのは、
その姿に内面の変化を強く投影していた自分の時代を思い返すからだと思う。
良い悪いではなく、今も昔もその時代ごとの背景、物語があるという事だ。
令和の時代、上から目線の押し付けで「とにかくやれ」というのは通用しない。
彼らの時代特有の物語を理解し、そこに上手く自分たちの物語をつなぐのが理想的だ。
とくに職場における年長者は、自分たちの時代をただ懐かしむのではなく、
「若手がなぜそう思うのか」という背景(物語)を読もうとする姿勢を持つ事だ。
まるで違う様に見える彼らにも、実は共通しているストーリーも見つけられたりする。
お互いにトップダウンや迎合ではなく「つないでいく」という感覚を持ちたいものだ。

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