最近、奇跡の書道家と言われる人の話が、心に残った。
ダウン症をもって生まれた方が、母親に教わって書道を長年続け、個展を開くまでになった。
来場者が次々に思わず涙を流してしまうほど、力のある書で、
私も、本を通してだが、作品を拝見し、息を飲む思いだった。
ご両親の子育ての様子が、本の中で語られており、親御様の溢れる愛が、
お子様である書家の力を育み、開花させたのではないか、などと思いながら、本を読み終えた。
非常に良きものを与えられると、ある意味、その後の人生が決まるような面もあると思う。
私の場合はその典型で、生徒のために文字通り命をかける先生方に学生時代に恵まれたため、
進路の選択や価値観の形成を含めて、恩師たちによって現在の人生が形作られたような感がある。
今後の人生についても、同様に、決定付けられている感がある。
それは、「次の世代に返していかないといけない」ということだ。
信じられないほど無償で与え続けてくださった先生方の思いは、
場所や学校は違えど、一貫していた。
自分に返してもらうことを全く望んでおらず、「次の世代に返してほしい」ということだった。
仕事においてお返しすることでいうと、今まで、お客様や、職場の先輩方や、
学生時代の先生方に大変お世話になってきたので、まだ見ぬ後進に返していきたいと思っている。
ただ、まずは自分のマネジメントを十分にできなければ話にならないので、
今は仕事を人に教える日は、はるかに遠いのだが、
近い将来で、お教えすることで言うと、英語研修にまた携わらせていただきたいと思っている。
弊社は、おかげさまで、キャリアコンサルティングのお申し込みが増えてきたので、
研修をお休みしていたが、
最近、通勤に向かう早朝の山手線の中で、以前手がけた研修の最終日を思い出した。
受講生の方たちは、信じられないほどやる気にあふれ、それだけでも主催者として
充実していたが、それを超えた楽しさを講師として感じたのは、なぜなのだろうと考えていた。
山手線が目的の駅に着こうとする頃、自分の中で一つの答えが出ていた。
それは、「差し上げるということが人間の本質の一つで、
摂理に沿うことをすると、人は力を得るようにできている」からではないか、ということだった。
差し上げるといっても、研修のお代だけでなく、やりがいなど、
こちらが受け取るものの方がはるかに多かったと思うが、満足していただこうと思い、
試行錯誤しながら必死で取り組んだ日々だった。
振り返ると、普段の自分では出ない力が出ていたような気がするし、
周りに聞いても、同じ意見だった。
私は、前述の先生方について、人間性の立派さなど、雲の上の存在として
仰ぎ見ていた感があるが、
先生方も、時には小さな悩みを抱える普通の人間でもあったことに変わりはないと思う。
では、なぜあのように高潔に生きることができたかというと、
「生徒に尽くすという本質に触れ、そこから、普通では得られないようなやりがいを感じ、
それを通じて大きい成長を遂げられたからではないか」というのが、現時点での私の考えで、
私も、先達と同じように、人に尽くすことを通じて、成長したい。
我が社が、創業まもない小さな所帯ながらも、なんとか仕事を営ませていただいているのは、
先程の摂理というには大げさだが、
「誠実さと質を最も大事にし、求職者様と企業様のお役に立つ」という本質だけは
見失わないよう、「ウサギと亀」の鈍臭い亀として、
一所懸命取り組みを継続してきた結果だと思っている。
いろいろかたい話が続いたが、自然な思いは、
「研修、いいなあ。キャリアの幅も広がるし、趣味としても楽しいですよ、英語できるようになると」。
その素直な思いを大事に、やっていきたい。

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