先日、遅ればせながら初詣に行ってきた。
正確に言うと、メンバーの中で厄年の者がいたので、
厄払いと、会社の新年の御祈祷を兼ねて行ってきた。
昨年2月のブログ「パラレルキャリア」で、
弊社ご登録者主催の勉強会を紹介しているが、この一環に近いというか、
もともと、ご登録者の方が「神社とその周辺の自然を愛する会」(無論同好会である)を個人的に展開なさっており、
弊社メンバーが便乗させてもらったという格好だ。
今回行き先は、箱根神社。
なんでそちらに、と思われるかもしれないが、これには理由がある。
神社の評判がすこぶる良いのと、主催者が、学生時代に東海道を自転車で横断された際、
夜で参拝時間が終わっていて、参詣できなかった無念を果たされたいとの思いである。
主催者も、日本中の名神社を巡っておられる中、遠くもなく、近くもない距離感である
この神社に訪問することがなかったとのことだ。
道中、自家用車の中で、主催者がお参りの心がけを教えてくれた。
お願いをするのではなく、お礼を申し上げに行くのだそうだ。
非常に良いことをおっしゃると感じ入り、心が洗われる思いがした。
マザー・テレサの言葉で「祈りは願い事ではありません」というのがある。
私のような者にはなんとも耳の痛い言葉だが、本質をついていると思う。
神社仏閣に行くとついお願いしたくなってしまうものだが、
我々は普段生きている中で、見える形でも見えない形でも、
いろいろな存在に支えられており、こういった機会にお礼を申し上げるというのである。
なお、お参りも「段取り八分」だそうで、昇殿後は、無心がよいとのこと。
これも実行してみた。
一月の下旬にもかかわらず、お社の中は大変な数の人がいた。
無論お祓いに科学的根拠はないものの、
人がこういったものを必要とする存在だということが改めて感じられた。
箱根神社は、芦の湖畔の急坂の上に位置している。
参拝後、坂に生え盛る杉の木々を仰ぎ見ながら、湖の冷気を感じ、
日常の煩わしさを離れて、リフレッシュする思いだった。
その後、湖畔のそば屋で、名物のワカサギ揚げに舌鼓を打ちながら、
話に花が咲いた。
そういえば、最近逝去されたフランクリン・コヴィー博士の代表的著書で、
成功哲学のベストセラー『7つの習慣』を読んだとき、
第七の習慣が「刃を研ぐ」だったことをふと思い出した。
自分をメンテナンスするために、趣味を楽しんだり、
旅行に行ったり、運動したり、読書したり、というものである。
今回の小旅行のように、リフレッシュすることも、
良い意味でのルーチンにすれば、普段の仕事にも一層精が出るに違いない。
そんなことを思いながら帰途についた。

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