東大で、サンスクリット語の初回講義に300人を超える学生が押し寄せ、
大騒ぎになったそうだ。「Web R25」から下記引用する。
「4月10日の午後1時から2時ごろ、東京大学教養学部で1、2年生を対象とした
サンスクリット語の講義が行われ、その出席者が多かったという理由で、
「サンスクリット」というワードが、ツイッターの東京エリアでトレンドに表示される珍事が起きた。」
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/jikenbo_detail/?id=20120413-00023431-r25

ヒンドゥー教や仏教で用いられる古典インド語なので、例年参加者数は一ケタ。
今回の騒動は、単位が取りやすいという噂が理由のようだ。
しかし、本当にそれだけで300人も集まるものなのか。
新入生の求める「優」評価と単位取得には、
極度に複雑な文法の暗記と、半年間の全出席が必要だが、
東大生といえど、よほどの精神力がないと勤まらないそうだ。
不確かな時代に、いつの時代も通用する考え方、日本人の源流をなす考え方を
東大生は求めたのではないだろうか。
上村勝彦・風間喜代三著『サンスクリット語・その形と心』(三省堂)のまえがきより、下記引用する。
「仏教が日本人のものの考え方に大きな影響を与えたということは
否定できないことである。そして,日本仏教の理解には,
じつは(中略)サンスクリットの原典を読む必要がある。
このように,日本の文化の一面を理解するためには,
サンスクリットの学習が必要であるといっても過言ではないように思われる」
去年10月18日のブログで書いたことだが、時代は正に原点回帰を迫られている。
最近のオリンパスの事件を持ち出すまでもなく、道徳なき商業はうまくいかない。
さすが古典語というべきか、書店に行って教科書を開くと、
「真実のみが勝利する」といった格言が最初に書いてある。
現代はその重みが一層感じられる。
現代経済の基盤を築いた事業家・澁澤榮一が、自らの事業の指針として
若い頃から論語を愛読していたように、
次世代のリーダーたる東大の新入生たちは、古典の精神を求めたのではないだろうか。
日本語の五十音図は、サンスクリット語のアルファベットの配列に由来するし、
禅、三昧、旦那などは、サンスクリット語を音で写した言葉である。
日本の文化の源流をなす言語なのである。
去年10月18日のブログで、
弊社は「人のための」転職サポート事業を「継続」することをお約束した。
同様に、去年8月10日のブログで書いた、「古典に触れ、実践する」ことを
継続することを、ルールとして自分に課そう。
