安全性の入り口

人と話すことを生業としているのに恥ずかしい話だが、
プライベートで初対面の方と二人きりになると何を話そうか迷う事がある(例えばパパ友とか)。
顔は知っているけどその人の背景を知らない、でも話さないとダメな時。
ぎこちない会話で何とかその場を凌ぐわけだが、やはり少なからず
「相手に響く」やり取りをしたいと思うと、相互に「取っ掛かり」みたいな
ものがないと非常に難しいと感じるのだ。

仮に、同じ職場で働いていても「響く」かどうかはわからない。
先日、友人が顧客対応について後輩にアドバイスをしたところ、
置物に話をしているかのような虚しさを感じたらしい。後から聞いて理解できたのだが、
その会社は良くも悪くも顧客とサービス内容が昔から固まっており(安定ゆえの現状維持)、
売上は年々減少してはいるがそのスピードは極めて緩やかで、
皆の危機感が薄い職場だということだ。
経営の方々も「うちはこのままで大丈夫」という思考になっているので、
組織としての最低限のメンテナンスすら怠ってしまう事に罪悪感もない。
注意された後輩からすれば、私の友人の方が奇異に映るわけで、
会社は潰れない、やってもやらなくても評価は同じ、
大きなクレームになっているわけでもない、とすれば
「なんでやんないとダメなんですか?」という発想になる。
「これなら怒鳴り散らすパワハラ上司がいた方がまし」と言わせてしまうくらい、
熱量が存在しない場所には恐ろしく「響き」がない。
この話は少し極端かもしれないが、似たような職場は面談で結構耳にする。

単に同じ組織にいれば響きあう話ができるというわけではなく、
そこには大前提として「会社を良くする」「自分が成長する」「あの人みたいになりたい」
などの取っ掛かり(共通認識)がないと成立しない。
いわゆる、心理的安全性があるかどうかにも強く連動しているだろうが、
極端な話「もっとお金持ちになりたい!」と真剣に思うなら、
その位の意識があってもよいと思う。その強い動機が起点になり、
他者と何らかの「響き」が生まれ、そこから徐々に形が洗練されていく可能性があるからだ。
そう考えると、熱量なきところに響きは生まれず、
やはり無関心こそが組織運営上の最大の敵という事になるだろう。

「とりあえず成立してるなら、それでいいでしょ?」という考え方で
維持できるほど今のビジネス環境は甘くないはずだ。もし現状維持が出来ているならば、
それは誰かの見えざる努力のおかげで、ぎりぎり首の皮がつながっているに
過ぎないと考えた方がよい。その、支える側に一人でも多くの人が回ればその組織は維持、
成長ができる確率が高まる。とはいえ、いきなり「響きあう職場のために努力しろ」だと
ハードルが高いのであれば、まずは相手のボールが当たる場所を自分の中に持つ事を
目指すのはどうか。最初はそれが利己的なものであってもいいから、
とにかく自分なりのこだわりを持つ事からスタートしてみる。
考えるに、それが組織という場に属する最低限の礼儀であり、
心理的安全性のはじめの一歩、登山の入り口にあたる部分なのかもしれない。

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