成長と感謝の形

前職は教育関係の仕事をしており、多くの生徒の色々なお願いごとを聞いてきた。
そんな私だが、先日これまでで初めてのお願いごとをされた。
ヘアスタイリストに向けた修行中なのでカットモデルになってほしいとのことだった。
「いやいや、もっと若い友人もたくさんいるだろう」という言葉を飲み込み
すぐにOKの返事をした。
10年近く前、お世辞にも勉強は得意ではなく、いつも忘れ物をしていた彼が
今、社会に出てどうなっているのだろうか、という興味もあった。

仕事が長引き、小走りで指定された住所へ向かう。
到着すると静かな店内に、アシスタントと思われる若い店員が数名と
ヘアカラーが終わるのを待つお客様が1名いるだけだった。

期待と不安が入り混じる中で案内された椅子に腰かけ鏡越しに彼の手元を見る。
受験期にペンだこができる気配もなかった彼の右手にたくさんの絆創膏が張られている。
大人になったな。少しの安堵感を感じているのも束の間、施術が始まった。

ぎこちないながらも丁寧に施術が進み、仕上げの段階になる。
「確認お願いします」彼は手を止めると近くの先輩らしき人に声をかける。
アドバイスを踏まえ、微調整を受ける中で練習について聞いてみる。

アシスタントの方々は営業が終わった後の時間を使って
スタイリストの監督のもと、友人や知人を呼びカットの実践に取り組む。
規定回数(100回を越えるらしい)のカットをしたあと試験を受け
合格すると晴れてスタイリストとなるということらしい。

先ほどチェックしてくれた監督役のスタイリストの方は、別店舗で働いており
練習に付き合うために退勤後わざわざこのお店に来ていたらしい。

そうしているうちに施術は終了し
帰り際に「今日はありがとうございました」と声をかける彼に対して
「こちらこそ、ありがとう。でも本当の意味で、ありがとうを伝えるべき相手は他にもいると思うよ。そこは大事にね。」と伝える。
私もいたので後で伝えるつもりだったのかも知れないが、退店後の窓ガラス越しに足早に
何かに気が付いたような顔をしてスタイリストの方のもとへお礼を言いに行く姿が見えた。

日々、感謝を持って生活することはとても重要なことではあるが
目に見える人、目に見える事象だけへの感謝にはなっていないだろうか。
実は自分では気が付かないような部分で多くの人の支えがあって生きている
ということを忘れてはいけない。

そんなことを彼に伝えつつ、自分自身にも言い聞かせる。
これまでの感謝を「成長した自分を見せる」という形で示してくれたのかもしれない。
と思いながら、涼しくなった夜の道を駅まで歩いた。

コメント