満員電車とリュックサック

近頃リュックを使用している人をよく見かける。
一昔前は、リュックを利用するのは小学校の修学旅行や、
山登りの時くらいなものでしたが、
今では学校の指定カバンもリュック。
社会人も半数以上はリュック使用者となっている。
荷物を背負う(前抱えする)事で、両手が空いて便利になり、
今のスマホ時代にはうってつけのようだ。

私が利用する通勤電車は、「乗車率」全国1位2位を争うあの電車だ。
混雑時は、1メートル四方に、10人以上のおしくらまんじゅう状態。
カバンからスマホを取り出すことすら、出来ない。

でも待てよ、俺の前にいるこの人はスマホを楽に操作してる。なぜだ?
そう、「前リュック」をしてパーソナルスペースを確保しているからだ。
とそのリュックを前に背負った男性のスマホは、
まるで水戸黄門で格さんの出す印籠のように、
「ここは私のスペース内につき、控えおろう。」と言わんばかりだ。
目の前の人にぶつかっていても、「私は、前抱え、マナーは心得ている。」
という顔をして、スマホをやり続けている。

「おいおいそのパンパンのリュックには何が入ってるのだ?
1週間くらい山ごもりしながら仕事をするのか?」と、心の中で叫んでしまう。
なにせそのリュックは固くて痛い。まさか、距離感のためのツッパリ棒入り!?

だが待てよ、この光景を仮に、車両の上から見てみたらどう見えるのだろう
人・リュック・人・リュック、のサンドイッチが、出来上がっている。
以前は、人・人・人・人の押し寿司状態だったが、満員電車の中で、
少し間隔狭めだが、ソーシャルディスタンスができているではないか。
確かにこれから夏場、汗びっしょりのおじさんと肌を合わせたくないし、
耳元で鼻息をかけられたくない。

今の時代の、人と人との、付き合いの距離感に似ているのかもしれない。
見方を変えれば、見え方も変わる、マナーの問題は別としてですが。
現代のwithコロナ世代にとっては、ある意味そういう考え方もできるのではないかなと感じた。

俯瞰で物事を見るとこういう見方も出来るのだ。
時代が変われば、ライフスタイルも変わる。
受け入れる事は受け入れて、
改善できるところは改善していかなければならないのだなと感じた。

柔軟な発想を心がけ、本質はどこにあるのだろう?と考えながら、
今日も満員電車に揺られている。仕方ない。ツッパリ棒入りリュックを買うか!

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