節分とは、季節の分かれ目には邪気が入りやすいということで、
その邪気払いを目的として、立春の前日に邪気を払い身を清める、
1年の無病息災という意味を込めて行われる行事である。
ちなみに必ずしも2月3日ではなく、2021年は2月2日であったし、
実は2025年も2月2日が節分にあたるとの事だ。
節分といえば「鬼は外、福はうち」と声をかけて、
お面を被った鬼役である父親や、幼稚園の先生に豆を投げ、
歳の数だけ豆を食べるという、楽しい行事として思い出に残ってる。
しかし近頃は、少し様子が違うように感じる。
豆まきよりも、恵方巻きを食べることに比重が置かれている気がするからだ。
さて、この恵方巻きを「節分に食べる」という習慣はいつからあったのだろうか?
恵方巻きは、江戸時代から明治時代にかけての大阪の花街で節分をお祝いしたり、
商売繁盛を祈ったりしたのが始まりといわれていて、花街で商人や芸子たちが
節分に芸遊びをしながら商売繁盛を祈り、食べたらしい。
名前も恵方巻きという名前ではなく、「丸かぶり寿司」や「太巻き寿司」と呼ばれていたようだ。
しかし、今では関東圏のほとんどの人が知っていたり食べていたりしている。
気になって調べてみたところ、1980年に、お寿司屋が「縁起巻き」という名前で
全国に広めようとしたところ、普及せず、後追いで1989年に大手コンビニが
全国に仕掛け大成功し、関東の文化としても根付いたのだそうだ。
個人的には、このような仕掛けられた文化にはどうしても賛同できない性分だ。
例えば、大騒ぎをしながら仮装して街中をウロウロする日本のハロウイン然り、
W杯などで日本が勝利すると、信号おかまいなしに交差点に飛び出す行為など
集団心理というか、みんなやってる、そんなものでしょう?という、
本質を考えない行動にたいして「おいおい、それって何のためにやるの?」と
ついつい問いかけたくなってしまう(年のせいかもしれないが)。
今年は正月早々、尊敬する先輩達と香取神社に初詣に出かけたのだが、
昨年は自分自身や家族に様々なことがあったこともあり、
生まれて初めて、祈祷をしていただいた。
これはさっきの「皆がやってるから」という気持ちとは真逆に近いもので、
自然にご祈祷を受けることができて、とても良い気分になった。
祈祷してもらった事で、なぜか子供たちにも誇らしげな自分がいる。
決して信心深くはなかった自分がそんな気持ちになる事が出来たのは
周りにいる人達との安心感や信頼感があったからかもしれない。
もしかすると、前述の何となく騒いでる人々も、そういう集団の中での
安心感や自分の居場所作りの為の行為…なのかもしれない。
コスプレ、大騒ぎ、ハイタッチ・・・
何事も、体感せずに表面だけで否定するのは良くないことなのかもしれない。
自分が体感したことのないことは、うまく人には伝えられないし、
見たり聞いたりしただけではそれが真実かどうかも分からない。
いつかは渋谷のハロウィンで、鬼のお面を被って歩いてみるのも良いかも知れない。
今日は娘の提案で家族で恵方巻きを丸かじりする。
動画にアップする為なのか、映えなのか知らないが、つきあってみよう。
今年はどうやら南南東が吉方らしい。
作法にのっとり、おしゃべりの私も無言でかぶりつきたいと思う。

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