アントニオ猪木さんが亡くなった。
プロレスファンじゃなくても強烈に記憶に残る人だが、
中でも「闘魂ビンタ」は有名だ。
張り手をもらう事が「ご利益」とばかりに、
イベント会場では人々が長蛇の列を作る。
そのパワーに励まされた一人として、
心からご冥福をお祈りしたい。
最近のニュースで、上司に叱られない事を理由に、
会社を辞める若者が増えているという記事があった。
いわゆる「喝」がない環境では成長の実感が持てず、
将来のキャリア形成に不安を感じるという理由らしい。
数字に対しての厳しい詰めがある職場や
恒常的な残業を強いられる環境の事をひとまとめに
「ブラック企業」と呼び、つるし上げた時代があった。
当然、真のブラック企業は糾弾されて然るべきだが、
これだけリスキリングが叫ばれている今の世の中を見ると、
実は働く側の意識の低さや主体性に大きな問題があって、
ブラック化せざるを得なかった企業も多かったのかも…と思ってしまう。
そもそも、誰かに叱られないと成長できませんという考えには、
いわゆる「職場ガチャ」の他責感覚が強く入り込んでおり、
自分の都合の良い場所を追い求めるジョブホッパーの様に、
結局、どの職場でも同じ結果になる可能性が高い。
また、叱る側も「ハラスメント・ハラスメント」に行動を制限され、
やるべき事、伝えるべき事の本質から逃げてしまう事情もあるだろう。
もちろん、人権侵害や暴力の類は許されるものではないが、
人に何かを教える、育てるという過程においては
「あえて厳しい言葉を選ぶ」「突き放す」というアプローチなしには
どうしても成立しない場面があるのも事実だ。
これを上司が先送りにすると、いたずらに「叱ってさん」を生み出すことに繋がる。
こう考えると、職能としてのリスキリングも大事ではあるが、
むしろ、このデリケートな時代のなかでどうやって「叱る」を先送りしないかの方が
これから生き残っていくための価値あるスキルになりそうだ。
「叱る」と「怒る」は全く別物とよく言われる。
相手に愛情がある人は叱り、自分の快不快で接する人は怒る。
叱る側も叱られる側もまずは「愛のあるビンタ」とは
どんなものかを知ろうとする気持ちが必要なのかもしれない。

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