負けても器は磨かれる

先日、世紀の一戦とされた格闘技の試合があり、
団体のエース同士が戦い、勝敗が決した。
まさしく命を懸けた死闘であり見ごたえがあったが、
同時に、負けた方が失うモノの大きさは計り知れなかった。
積み上げてきたもの、時間、プライドを全て賭けた勝負だった。

一般の人が、これほど世間の注目を集める勝負に
身を投じる事はまずないだろうが、
我々の生活は日々、小さな勝負の積み重ねだと言える。
コンペのプレゼンや昇進試験などは当然ながら、例えば
「あの嫌味な上司にどうやって承認を得たらよいのか…」
「時間を守る事の大切さを子供にわかってもらうにはどうするか…」
「ダイエットすると言いながら既に2か月経過した…」など、
これら日常の小さな(でも意味がある)勝負事に対して、
どれくらい自分の頭を使って真剣に挑み続けているかが
結局、人の強さや魅力の違いを生み出している気がする。

凄まじい努力をして臨んだとしても、勝負事である以上、
敗者になる可能性はある。そして、目的達成のために
努力した過程が自分に刻まれているからこそ、
「勝負に負けた」という強烈な感情が自分の中に入り込んでくる。
ここに、とにかく価値があると思う。
自己否定を含むので、もちろんしんどい局面なのだが、
自分と向き合い客観視する機会が得られる分、
強さも弱さもしっかりと自己認識できるようになる。
ひとかどの人たちが持つ「人間力」とはきっとこういう部分の違いであり、
目の前の何かと勝負している様に見えて、実は自分と戦っているのだ。

今から夏に向けて、体を絞り込もうとする人は多いと思うが、
同時に自己認識のシャープ化に取り組んでみるのはどうだろうか。
難しく考えず、一つ一つの日常の勝負に惰性のリアクションをせず、
例えば「食べるもの」「着る服」「乗る電車」「挨拶のタイミング」など
全てに対して「私はこう考えて、これを選んだ」と意識する事から始めてみる。
勝ちも、負けもそこに至る過程が明確なら、いずれも価値がある。
自分の器は、その小さい勝負での磨かれ方で形が決まっていくのだと思う。

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