自ら場面を作り出す

大半の人は、世の中で起きている事が偶然・偶発的に起こっていると捉え、
あまり疑う事なく、政治・経済・会社(組織)の変化を受け入れて生活をしている。
こうしている間に、また多くの事実が作り上げられ、しっかりとした振り返りが
なされないままに世の中が作り上げられているように感じる。

実際のビジネスシーンにおいても突発的(偶然と認識されている)に
判断を問われる場面に遭遇した際に「いきなりで対応できなかった」というような
意見や見方をする事が多いが、しかし、これは厳密にいうと勘違いかもしれない。
過去の経験を振り返ってみると、直接的な因果関係はなくとも
何かしら、対応のヒントとなるような類似した案件があったのではないだろうか。
対応力がある人(咄嗟の場面でも質の高いアクションができる人)たちとの違いはまさにそれで、
体験したことがなくとも類似案件から起こりそうなことを仮定していたか、していないかの差である。

日常で起こる体験や経験の中に、解決のヒントになる様な共通点も多く存在しているのだが、
一つ一つの事象を全くの別物と捉えているために、いくら新しい良い体験をしたところで
過去の体験と結び付つくことがないために、本当の意味では体得されていないのである。
(機械型学習になり、過去の正解しか導き出すことしかできない。そのため前年踏襲型に陥る。
咄嗟に答えのないものに対して回答を求められた時にはとても弱い状態になってしまう。)

野球に例えるならば、平凡なバッター(多くのビジネスマン)が
打席を迎える度に毎度ナックルボールを見させられ、毎度三振しているイメージである。

しかし、一流のバッター(一流のビジネスマン)はそうではない。
初めて目にする変化球にも過去の経験から予測を付け、バットに当てることができる。
一打席目は凡退の可能性があるが、二打席目にはヒットに変えてくるだろう。

つまるところ、一流と二流を分けるのは意識の差でしかないのである。
目的が明確になれば、自らの根底にある価値観に紐付き、
内発的動機が奮い立ち、自らの潜在能力を引き出すのである。
日々積み重ねてきた今日までの行いや鍛錬は明日に消えたりしない。
場面というのは自らが引き寄せるものであり、惰性の日常に進化はない。

常に価値観を意識的にアップデートすることで、目的はそれに紐づくように
大きく、さらに壮大なものになる。これは人類が考えるという能力を与えられた以上、
人生において全うしなければならない使命だと感じる。
先行きが見えない今だからこそ自らの内省と共に突き進みたいと強く感じる。

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