今、米国を中心にアジア人へのヘイトクライムが
急増しているのをご存知だろうか?
原因はいくつかあるのだろうが、
まず、コロナによって日常生活が奪われ、
これまでにないストレスフルな状態にある事が
事件急増の背景にあるのは間違いないだろう。
また、トランプ前大統領がコロナウィルスを
「チャイナ・ウィルス」と呼んだ影響も大きい。
先月の米アトランタの銃乱射事件をきっかけに、
アジア人差別に対する抗議運動や意識の高まりが
世界各地で広がっているが、その深刻さに比して
日本ではあまり報道されておらず、
そこまで強い関心事になっていない様に感じる。
アジアの中のまさしく当事者である日本なのに、
あまり報道されない事は素朴に疑問に感じるが、
基本的に視聴者の関心を集めにくい「ネタ」だと
考えられているからだろう。おそらく日本人の多くは、
人種差別についてあまり真剣に考えたことがない、
意識したことがない、自分とは関係ない、
と思っている人がほとんどだと認識されているので、
当事者意識を持つ事が難しいという事なのだと思う。
もちろん、だからと言って安易に世界のトレンドに
乗っかるように、SNSで#(ハッシュタグ)を付けて
抗議に賛同すれば良いというものでもないと思う。
「人種差別による殺人」とまでなってしまうと
さすがにピンとこないかもしれないが、
「差別」は身近に、日常的に存在していることを意識したい。
記憶に新しいところで、森元首相の女性蔑視発言が問題になったように、
「女性だから・男性だから」という性差別も現在進行形の問題。
主観も入るが、日本人は外国人嫌悪の傾向がある気がするし、
中国人や韓国人、バイレイシャルの人たちに対しての差別も
いまだ根強く残っていることも否めない。
昨年の”Black Lives Matter”や今回のアジア人差別について
改めて思うことは「差別をなくそう」とか「偏見をなくそう」
という単純な話で考えるべきことではなく、
これをきっかけに「背景を知ろうとする」、
そして、ちゃんと自分の頭で「考えてみる」というのが
何よりも重要なアクションだということ。
「唯一の善は知識であり、唯一の悪は無知である」という言葉があるが、
無知ゆえに自分でも気づかぬうちに、誰かを傷つけているかもしれないのだ。
大切なことは、一つ一つの出来事を自分が思考するための
「きっかけ」にすることができるかどうかだ。
どんな状況や場面でも言えることだが、情報を鵜呑みにしたり、
ただ右から左に流すのではなく、まず一度考えてみることで、
はじめて「自分ごと」として認識できるようになる。
今回の件も、そこから日常に潜む差別を認識するに至り、
ひいては、世界で起こる差別意識・行為に対して
当事者意識を持って接する事ができるのではないだろうか。

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