やらせとプロセス

最近、立て続けに「やらせ」が明るみになって、
二つのテレビ番組が打ち切りに追い込まれた。
いわゆるドキュメント形式の番組において、
本物のように見せかけて放送していた箇所があり、
視聴者からの強い反感を買ったらしい。

確かに、それが「真実ですよ」とうたっていたからこそ、
興味を持ち、観たいと思い、心が動かされる人も多いわけで、
詐欺と言われても仕方のない事例だと思う。

裏を返せば作為的でない「モノ」や「コト」には
それだけの価値があるとも言える。
それは、「過程」に対するリスペクトの様なものだろうか。
さぼらず、ズルせずに地道に歩んできた事だったり、
本人の努力や運不運もひっくるめて、
一つの結果に至る道のりに人は強い興味関心を持っている。

実際、世の中における評価と本人の努力は比例していない事も多く、
それだけ現実世界というのはシビアで不公平なものだと皆が知っている。
だからこそ、過程に尊さを感じるのかもしれない。

仕事に置き換えると非常に分かりやすいが、
目的思考をもって取り組まないと単なる作業となり、
そこにプロセスの尊さは存在しない。
また、どんな世界でも常に結果は求められるわけだが、
結果だけを早くインスタントに求めてしまえば、
偽装や粉飾に頼る事に抵抗感がなくなる。

「やらせ」で得られる結果にどの程度の価値があるかは
人それぞれの意見があると思うが、
少なくとも、あらゆるプロセスは自分の人生の断片であり、
その価値を自ら下げる行為はしない方が良いと強く感じる。

「自分のキャリアは他者が決める」
コアが創業時から掲げる重要な言葉の一つだが、
すなわち、これはプロセスが見られているということを意味している。
「他者評価を気にしてヤラセに手を染める」
共通して「他者」という存在を重視しながらも、
真逆の価値観であり、手前味噌ながらとても良い言葉だと感じている。

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