時間の価値

私は片道1時間かけて電車で遠距離通勤をしている。
遠距離通勤と聞いてどのようなイメージが浮かぶだろうか。
つり革を持ちながら外の変わりゆく景色を眺めているようなイメージなのか。
満員電車に揺られて狭く、暑苦しいイメージなのだろうか。
その環境下でそれぞれの乗客がしていることも様々だ。

睡眠。
読書。
スマホ。
考え事。

通勤電車内で日々、目にする光景である。
同じ車両内で立っている人、座っている人、
皆それぞれ異なることを行っている。
しかし、その雑然とした環境の中に共通点が一つだけある。
それは、時間と言う名の共通の資源を使っていることだ。

ふと、考えてみた。
私の資源はあとどれくらい残されているのだろうか。

人生に真剣に打ち込んでいる方々であれば、
実は思っている以上に残されていない事に気付いているはずだ。
同時にそれを効果的に使う事がとても重要である点も理解しているのだと思う。

この点、私はビジネスにおいて、特に再認識する必要があると考えている。
何故ならば、自分以外の人の限りある資源を使わせてもらっている場面が多くあるからだ。

人によっては自分の資源と人様の資源を同価値だと思い込んでいる人がいる。
これは考え直す必要があるかもしれない。
特に自分より立場が上の方であれば同価値と言うことはあり得ない。
時間給に換算すると解りやすい。
シビアではあるが、個々の資源の価値が客観的に理解できる。

私の資源の価値はいくらになるのだろうか。
そんなことを考えるようになった。

もし、資源の価値を高めたいと考えた場合、
共通に与えられた資源の活用方法で、1年後、3年後、自分の時間の価値は大きく変わる。

今回は通勤時間に例えたが、この時間を、
寝るには丁度良い時間と考えるか。
または限りある資源と考えるか。

この意識の差で人生が大きく変わることは間違いない。
その点を私も自覚し、時間を有効活用していこうと思いながら、
重い本のページを一枚めくった。

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