リストラと聞くとネガティブなイメージがつくかもしれません。
実際、人員整理・解雇ということが真っ先に頭に浮かびますし、そのようにすることを「リストラ」という代名詞にしてきた国です。
そもそも、リストラというのは「リストラクチャリング」の略語であり、
人員削減・解雇だけを指すのではないということは一般的な解釈でしょう。
ただ、今までは終身雇用という名目上、余程のことがない限りリストラクチャリングは行いませんでしたし、
時代の成長力も相まって何とか切り抜けてきた為、事業整理なども必要なかったのかもしれません。
外資系企業や国内系大手企業が事業整理の名のもとに、人員整理を始めることが必然になってきたため、
企業側も終身雇用の義務から解き放たれ、まともな成長曲線を描くようになってきたように感じます。
さらにこの頃は経済も良い循環になってきたと吹聴されれば、そこまで業績向上していない企業は更に焦りを感じ、
足早に構造改革を半ば強制的に行おうとする擬似的な自浄作用が働くのではないかと思います。
このあたりが昨今の景気が良いと言われているのに企業がリストラする理由の一つとしてあるのだと感じます。
日本企業は少し経済の良い波に乗りすぎていて、胡坐をかいていたのだと痛感します。
世の中を広く見ると、終身雇用を表立って表明し、惰性で成長してきた会社とその社員からのしわ寄せが、
この世相に来ているのであろうと思います。
会社の業績がそこまで悪くないのにリストラクチャリングするというのは、当たり前にあって良いことなのかもしれません。
戦略的にリストラクチャリングするというのは、悪いことではないでしょう。会社も生き物です、会社が倒れてしまえば、社員すべてが路頭に迷ってしまいます。
そのために戦略的に(意図的に)事業再生や事業整理を行う必要があるのです、人員整理や解雇を伴ったとしても。
整理や再生が必要なく、順当に会社が伸びていく、かつ社員は誰一人として解雇せず昇給を繰り返すというのは、
余程の事がない限り難しいのでしょう。
経営手腕の見せ所の一つにある「やらない」という選択が多く見られるようになりました。
つまるところ、日本流の経済成長に限界が来ているのではないかと考えられます。
では日本人はどうでしょうか。
古くからある日本流の経済循環に夢を持ち、それにまだ縋ろうとする人は多いのではないかと思います。
惰性で成長してくるとなかなかキャリアが開けないというのは、ここ最近の経済リストラクチャリングがよく表しています。
社会は刻一刻と変わっています、昨日正しかったことが今日は正しくないということもあります。
経済や時代に寄り掛からず、自身を立たせる時代が本当に来たのだと痛感しながらも、自己研鑽に励むことを新たに決心した今日この頃です。

コメント