「ポジションをとる」という表現がある。
色々な使われ方があるが、シンプルに言えば
「自分の立ち位置を明確にする」という意味合いである。
どうでもいい例で恐縮だが、子供に「ごはん、どこに行きたい?」と
聞いた時に「どこでもいいよ」と反応されると、
「こらこら、ポジション取れよ!」と思うことがある。
しかし、この場合は親が結論ありきのコミュニケーションを
してしまっている可能性も高いので(親が行きたい場所に誘導する)、
身勝手な「ポジショントーク」を反省した方がよかったりする。
話を元に戻すと、例えば、マーケティングの基本にも
「ポジショニング」いう考え方が出てくると思うが、
突き詰めれば「差別化の大切さ」ということになるのだろう。
まず、買ってもらうには知ってもらうこと、
興味を持ってもらわないと始まらない。
また、スポーツではポジション取りが勝敗を左右する。
先日のオリンピックの男子サッカー準々決勝では
日本のゴールがオフサイドで取り消され、敗退の遠因となった。
これは、ルールに則って自分たちのポジションをどう取るか?
という戦術の中でギリギリを攻めたからこそ発生したシーンである。
しかし、ポジショニングの失敗は彼らの胸にメダルを輝かせることはなく、
勝負の世界においては敗北を意味する。
改めてこの、ポジションを取るという行為を考えてみると中々に難しい。
大前提だが、大人の世界において自分の立場を明確に
できない人は周囲から評価されることも多くない。
責任の回避のためだったり、皆に良い顔をすることで得をする、
という経験則が働いていたりするのだろうが、
人も物と一緒で、まずはポジションを取らないと始まらない。
立場を明確にするからこそ、失敗や成功を振り返ることが出来る。
しかし、手段が目的化した「ポジション取り」は負の側面が大きくなる。
例えばSNSはその典型かもしれないが、個人が気軽に発信して
不特定多数からの評価を得る仕組みが発達しているため、
さながら「とにかく目立つポジションの奪い合い」の様な事が起こる。
自分の本心や主義主張は二の次にして、興味をひく刺激的な言葉や
アンチも含めてたくさんの人が反応しそうな意見を表明することで
自分自身の一時的なポジションを意図的に発生させ、承認を得る。
あくまでも、瞬間的な利益を得るために消費される意見や立ち位置であり、
軸や筋の様なものが存在しないので、上積みも研鑽も期待できない。
よく考えてみると、この行為はSNSの世界に限ったことではなく、
政治だったり、企業の方々だったりの責任取り方においても横行している。
ここには、言ったもん勝ち、違ったら謝罪すればオッケー、
どうせすぐに忘れるから、というポジショニングが透けて見える。
実際、当事者はうまく立ち回れたと思っているのだろうが、
例えば転職市場における転職理由にしても、
問題が起こった際の上司やトップの「ポジション」の曖昧さに幻滅し、
新たな場所を探そうとする方も多く、見えないダメージは結構大きい。
ポジションを取る事で得られるものは大きいし、今の世の中は
セルフプロデュースをうまくしないと生き残れないのも事実だ。
しかし、そこに中身が伴わないと、いつかブーメランのように返ってきて、
得られた物以上の代償を払わされることになる。
(中身があっても“炎上”してしまう事もあるのが難しいところだが…)
かくいう私も、上記したような子供とのやりとりと同様に
目的から逆算した「塩梅良いポジション取り」をしてしまう事がある。
そういう場合「相手のために」を大義名分にしていることが多いが、
本当は短期での功名を得たいがため、他者を犠牲にしてしまっていたりする。
お互いが発展的、長期的に切磋琢磨していく様なプロセスにおいては、
本来の目的はポジション取りそのものではなくて「その先」に存在するはずだ。
目先のポジションを取る事だけに明け暮れて良いほど、時間は無限ではないと心得たい。

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