不運の受け止め方

北京五輪スキージャンプ男女混合団体で、
高梨選手の1本目のジャンプが、スーツ規定違反により失格となった。
この事態を受けて、高梨選手は、自身のインスタグラムに謝罪文を投稿した。

「今回、私の男女混合団体戦での失格で日本チーム皆のメダルのチャンスを奪ってしまったこと、
そして、今までチームを応援してくださった皆様、
そこに携わり支えて下さった皆様を深く失望させる結果となってしまった事、誠に申し訳ありませんでした。
私の失格のせいで皆の人生を変えてしまったことは変わりようのない事実です。
謝ってもメダルは返ってくることはなく、責任が取れるとも思っておりませんが、
今後の私の競技に関しては考える必要があります。
それ程大変なことをしてしまった事深く反省しております」

人により見方は違うかもしれないが、
個人的な意見としては、本人の責任とは言えないのではと思った。
不運としか言いようがない。4年という年月をかけてこの日のために努力してきた
選手にとってはあまりにも残酷である。

日本と海外を単純に分けるのは正しくないかもしれないが、
このような事態が起こった場合、海外の選手だと、不満をあらわにする人が多いような
気がする。高梨選手の取った言動は日本人的な美徳と言えるだろう。

ビジネスの世界でも同じような事が起こっている。
例えば自分が何かのプロジェクト、部署、会社の責任者になったとする。
在任中に、前任者の失敗やミスによる結果や、深刻な事態が発覚する。
その影響は当然自分が関与していなかったにしても振りかかってくる。
特に経営者の場合は、自分が責任を取らねばならないことが多い。
運が悪いともいえるし、理不尽とも受け取れるが、そういうことも含めて
経営なのかもしれない。
経営者はそのようなリスクに日々さらされているともいえる。

会社経営に携わる機会はなかなかないかもしれないが、
上記のようなことがあった場合、「すべての結果を自分が引き受ける」というリーダーと、
「自分は悪くない、前任者のせいだ」というリーダーと、
メンバーはどちらの方についていきたいと思うだろう。
多くの人が前者を選ぶのではないだろうか。
後者の言っていることも間違ってはいないのだが、人間力の差と言えるだろう。

このように人のことだと第三者視点で状況をジャッジ出来るが、
いざ自分のこととなると、つい環境のせいにしてしまう人も多いかもしれない。
高梨選手を見習い、不運に見舞われても不平不満を言わない潔さを身につけたい。
周りの人を気遣える気持ちを持つことがまわりまわって自分の元に戻ってくるのだろう。

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