秋の運動会で息子がリレーのアンカーになった。
足が速くないのになぜ?と不思議がっていたら、
「彼はチームが勝とうが負けようが最後まで全力で走るのです」
それが選出の理由と聞いて納得がいった。
打算のない本気さに価値が与えられたという事だ。
たいていの人間は1日で3万5千回くらい
何かの判断処理をしているらしい。
そのほとんどはパターン化した流れ作業なのだが、
恐ろしい数の判断と処理をしながら一日を過ごしている。
その際、「何から先にやるのか」「どこまで精度を求めるか」
という2軸が個人的には大事だと思うが、
とりわけ最近は「精度」の見極めが難しいと感じている。
「精度」とは要するに「どのくらい本気出す?」という事だが、
これを常に的確に判断できる人は少ない。
過去の成功者やパターンを真似るのは最初こそプラスだが
どこかで独り立ちをした時、その反動が待ち構えている。
「模倣=パターン化」という感覚でやってきた人は、
それ以降の調整が不可能となり「思考停止」に陥る。
マニュアルやお手本は便利で価値があるものなのだが、
ただ浸かっているだけだと感覚がマヒして思考力が鈍ってしまう。
生活の中で日々埋もれていく数万の判断処理の中に、
「もっとここをやり抜いていたら…」「あれが後々尾をひいた…」など、
実は自分を成長させてくれる「種」が含まれている事がある。
注意して観察していれば本来は気づけるはずなのに、
パターンでの対応が染みついていると永遠に見逃し続ける。
結局、精度や効率化を本気で追い求めるならば、
打算は二の次、注意深く観察し自分の頭で泥臭く
考える力の維持が絶対的に不可欠という事だ。
打算で動くとどうしても「今の自分の手札と交換するには…」
という狭い発想でしか物事を見れなくなる。
それが仕事や人間関係に見えない壁を作り、
つまらないものにしている気がする。
いざという時には問答無用でガムシャラに全力で走る。
仮に割に合わなさそうでも、セオリー無視で最後までとことんやる。
その行為が今の自分を変え、周りからの評価を大きく変える。
足の遅いアンカーが存在するように、
世の中は案外、ガムシャラさに飢えているかもしれないのだ。

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