非合理の中にある合理性

学者いわく、人間はかなり非合理的な生き物だそうです。
一般的に人間は基本的に自分に有利になるように行動する動物と言われ、
頭を使って合理的に行動するものだと思われています。
しかし、私たちは日常生活でかなり頻繁に非合理的な行動をとっています。
それは知らず知らずのうちに選択しているもの、
わかっていながらあえて選択しているものがあります。

もちろん、全ての行動が合理的である必要はないと思いますが、
やはり、知らず知らずのうちに非合理的な行動をとっていることは少々考えものです。
自分では合理的だと思っていたり、特に何とも思わなかったりするものが
実は非合理的な選択だったというのは、長い人生の中で大きな損失になるかもしれません。

ちなみに、似たような言葉に「不合理」というものがあります。
不合理と非合理は、意味の異なるもので一緒にしてはなりません。
「不合理」は道理に合わず、また論理的にも筋が通らない矛盾をいいます。
たとえば、“私の兄は、私より齢が下である”と言うのは不合理です。

「非合理」は哲学用語で、合理的な知性では理解できない、
論理を超えた認識のことをいいます。
だから、芸術的価値というのも非合理性に基づいて存在します。
「悪魔に神を見る」だったり、「石の上にも三年」などもそうです。
しかし、われわれが生きているこの世界には、
そうした比喩的表現を借りなければ表現できない真理があるという事実を知るべきです。

人間は想像以上に非合理的な生き物である、という事です。
また、世の中にはそれを利用しようとする人が大勢いるのも事実です。
しかし、人間が完璧に合理的ならよりよい社会になるかというと、おそらくそれもないと思います。

人間がすべて合理的な選択をしたら、多くの会社が倒産してしまいます。
考えられる範囲でも、訪問販売はすたれ、宝くじは売れなくなり、営業の仕事も激減すると思います。
パチンコ、証券会社、銀行、コンビニも苦境に陥るでしょうね。
どんなにいい商品を出しても、すぐに競合が生まれ一度ついた顧客は一斉にいなくなります。
これでは安心して将来設計をすることも困難でしょうし、
顧客との「信頼関係」という概念も消失してしまいます。

よくわからないけど皆使ってるからこの商品、とりあえずいつも買ってる商品を買おう、
営業マンの人柄がいいから買ってみよう、こういう非合理な人が一定層いるからこそ
合理性が保たれ、世の中が回っていることも一つの真実だと思います。
つまるところ、適度に非合理である事を許容できる社会の方が幸せ…ということかもしれません。

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