破竹の勢いだった将棋の藤井四段の連勝がストップした時、
少し残念ではあったが、これで良かったという気持ちにもなった。
いかに天才とはいえまだ14歳の中学生。
背負える許容量はとっくに超えており、
過度な負荷は今後の成長にプラスにならない気がしたからだ。
人生はよく、細かい選択の積み重ねであると言われる。
そして、選択にはたいていの場合競争が伴うし、
競争となれば、必ず勝者と敗者が決する。
将棋でも受験でも恋愛でも出世でも、全てにそれが当てはまる。
当然だが、誰しも負けたくはないので勝つために反省や努力が生まれ、
また負けて努力して…を繰り返し成長していく。
多分これが、誰しも思い描く真っ当な思考・行動パターンだろう。
しかし、負けることがあまりにも大きな苦痛や代償を伴う場合、
チャレンジする事自体を避ける、というパターンに陥りかねない。
人材紹介の仕事をしていて様々な職種の方と接するが、
多くの場数を踏み、勝負にこだわってきた人の方が
実は負けることに対して寛容であるように思う。
正しい負け方、次につなげる負け方を知っているからだと思う。
勝負する機会がなければ負けもないが、
同時に、自分の限界がどこにあるかを知る事も出来ない。
自分の限界が分からないと、正しい努力の仕方や反省ができないので、
結果として、今までの自分の感覚や経験則の中だけで巡る事になる。
だからこそ勝負する機会は不可欠であり、
負ける事にも大きな意味があるのだと思う。
将棋では、勝敗が決した後に「感想戦」というのを行い、
戦ってきた一局を対戦者同士で再現することが慣例となっている。
負けた方は悔しさが残る状態でどうすれば良かったかを振り返り、
勝った方は満足感をクールダウンさせてさらなる高みを目指す。
つまるところ、本当に勝負をしている相手とは「自分自身である」という
将棋の精神性を体現したものらしい。
藤井四段が実年齢よりも随分大人びた発言をする事にも合点がいった。

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