感謝で得られるもの

子供を誘って近所を散歩していたら、
空き地だった場所に白いテントが張られていた。
「ああ、家が建つんだ。地鎮祭の準備かね…」
「お祭りって…屋台が出たり?」
「いや、そういうお祭りじゃなくてさ、地面の神様というか・・・」
土の中に神様がいるという話を、怪訝そうに息子が聞いていた。

偉人や成功者の多くは、周囲の人や祖先などに対して
常に感謝の気持ちを忘れないために何らかのルーティンがあり、
(朝起きたら「ありがとう」と言う、神棚に手を合わせる、ノートに書きとめる等)、
それによってさらにポジティブな運気を引き寄せていると聞く。
少々オカルトな印象があって眉唾に感じる人もいると思うが、
身近なところでは、一流のアスリートが道具を大切にするのも
「感謝」起点のアクションに入ると思うし、
そもそも「ありがとう」と言われて良い気分になる事は、
誰も否定しないだろう。感謝にはそういうパワーがある。

冒頭の地鎮祭は感謝と少しニュアンスが異なるが、
日本の神道信仰から、あらゆるものに神様は宿っているので、
自然を利用する時には神の許可を得なさいというのがルーツだ。
どちらかというと「畏怖」に近いと思うが、そういう意識があるからこそ、
事故を起こさないように気を配り、いい加減な仕事をしなくなる。
結果として、良い建物を作るための大事な要素になってきたのだと思う。
自分以外の誰かの存在を常に意識する、責任感を強く持つというのは、
畏怖にも感謝にも共通した思考であり、結果として人の成長の糧となる。

一方で、悲しいかな、人間とはすぐに忘れてしまう生き物である。
他者への感謝の気持ちなどはその最たるものであり、
自分のピンチを救ってくれた恩人の行為も、
時が経てば「そんなこともあった」と片隅に追いやってしまう。
逆に、自分がしてあげたことだったり、悔しさや腹が立つ等の
負の感情はとどまりやすく、見返りを期待する気持ちが強い。

それゆえ、感謝の気持ちを持ち続ける事は至難の業なのだが、
裏を返せば、忘れっぽくて自分がかわいい生き物であるからこそ、
誰かに対して感謝する事は尊く、価値が高いことなのではないだろうか。

人間の脳は毎日4万回ほど処理判断をしていると言われている。
今、この瞬間も膨大な量の脳内ツイートをしている事になるわけだが、
どうせなら、その呟きが焦りや怒りというネガティブなものではなく、
感謝や喜びの言葉であった方が、脳も健やかに育つだろうし幸福感も強い。
ネガティブワードで頭がいっぱいになる事もあるだろうが、
日々の感謝を習慣化できれば基本状態をポジティブに保てるので、
私はそれをルーティンにすることから始めたい。

まずは、子供が散歩に付き合ってくれたことに感謝。ありがとう。
そして、感謝の大事さを再認識させてくれたことにもまた、感謝。ありがとう。
家に帰って「ありがとね」と伝えたら、また怪訝な顔をしてくるに違いない。
そのくらいのリアクションがもらえたなら、充分だ。

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