“当たり前”の尊さ

今週の日本経済新聞で、インターネット動画サービスの『GYAO!』が、
今年度末にサービスを撤退することが発表された。
コロナ禍で登録数は増加したものの、2005年のサービス開始時とは市場環境が大きく変化し、
新たなサービスが台頭し、会員数に数倍の差を付けられている為の事業判断とのことだ。

15年程前になるが、私も利用しており、学生時代にヒットした懐かしい映画を
DVDレンタルせずに鑑賞できる手軽さに新鮮味を感じた記憶があり、少し寂しさを覚えた。

そして『GYAO!』といえば、USEN社の安定基盤があり、
大手のサービス=簡単には無くならないとイメージする人も少なくないだろう。
しかし、冷静に考えると、事業運営は、アイデアが実現に至るだけでも簡単ではなく、
ましてや、収益を出して継続させるのはもっとハードルが高い。
経済産業省の統計によると、新規事業を立ち上げて収益化できる企業は全体の14%程という説もある。

客観的に見れば、事業が継続し続けて会社が存続し続けること自体決して簡単なことではないが、
基盤ができあがった組織への慣れが生じることで、
会社や部署があり続けることが当たり前という感覚になってしまう。
更に言うと、希望も含めて、所属する組織が無くなるとは思いたくないのが人である。

かくいう私も、過去に所属した会社で、新規事業凍結を体験し、
事業の黒字運営と継続がいかに当たり前でないか身を以て知ったはずが、
現職で働くこととなり、お客様や社内の仲間など恵まれた環境に身を置いて月日が経つうちに、
今の状態が当たり前化していることに、本ブログを執筆しながら気付かされた。
これはビジネスだけでなく、家庭や友人関係にも言えることであろう。

帰宅したら美味しいご飯が用意されていて、温かい風呂が沸いている方であれば、
ある日突然、それが無くなった時、夕食の支度をして入浴できる状態に整えるだけで1時間は掛かる。
1人暮らしの方が実家に戻り有り難みを感じるように、
その時に初めて、当たり前でないことに気付く。
プライベートの人間関係も、壁にぶつかった時に気兼ねなく相談し、
休日に共通の趣味を楽しめる友人がいることで、仕事にも精力を注げることもある。

会社の事業の話に戻るが、どんなに素晴らしいサービスでも、
定年を迎える迄継続できる確約はどこにもない。

“当たり前”が当たり前に存在すると思わず、
1つ1つの顧客対応の積み重ねを大切にして、
感謝の心を持って職務を全うしたいと思う。

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