「人間五十年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」
織田信長が好んだ伝統芸能の舞の一つで、
源平合戦で討死にした、平敦盛を題材にした「敦盛」という題名の舞に
「人間界の五十年の人生は、化け楽らく天での時の流れにくらべれば、
夢や幻のように短いものだ」という一節があります。
「化天」とは、仏教で信じられている天上界の一つ、化楽天のことで、
そこに住む人々は八千歳も生きるそうです。
皆さん、「人の人生は50年しかないのだ」という解釈をされているかも
しれませんが実は「人の人生五十年なんて儚いものである」 という意味なのです。
私も数年前に知ったことなのですが・・思い込みというのは怖いですね
実際、その当時、安土桃山時代の平均寿命は30代、
江戸時代では32~44歳だったといわれております。
現在の、令和時代の寿命は85歳くらいにまで伸びてきています。
信長の世界観で言う、「化け楽らく天では夢のような一瞬の出来事」である
「人間界の50年」という年を重ねた私は、大きな人生の転換機を迎えました。
「団塊Jr.世代、第二次ベビーブーマー」とも言われている私たちの世代は、
生まれた時から同世代との競争が始まっていました。
産婦人科内の私の写真は、保育器だらけで、
どれが自分なのか分からないほどでした。
中学校は、1クラス50人で15クラスありました。
高校時代は、全校生徒3000人のマンモス校に通い、
大学受験時では、「中堅の大学」ですら、入試の平均倍率が
30倍以上もありました。ご多分に洩れず、浪人生も経験させてもらい、
予備校も溢れんばかりの人でした。
就職の時は、大手企業の募集定員20名に対して4000名が
セミナーを受けるという状況で、入社するまでの面接の回数は、
4~5回は当たり前でした。そんな競争世代を生き抜く中で、
まわりに負けないように、気がついた時には、どこかで誰かを蹴落として、
一生懸命ここまで、這い上がって生きてきた気がしました。
恋愛、結婚、子育て、マイホームのローンの支払いに、
ささやかな外食。気がつけば、50歳になっていました。
大好きな野球を我慢し、大好きな友人と会うのも我慢し、
大好きな歌手のコンサートも我慢し、これが正しいのだと思って
ここまで突っ走って来ました。
その大好きな、シンガーソングライターである、
Nさんの、歌の歌詞の中でとても好きなフレーズがあります。
「66歳で死んじまった、西新宿の飲み屋のオヤジ」の歌で
金にならない歌を歌い続けていたNさんに
「出世払いでいいからとっとと食え」といい、
そのオヤジの口癖で「やるなら今しかねえ」という2つのフレーズです。
あの頃、聞き流していた歌でしたが、
今しみじみと歌詞の意味を考えながら聞いてみました。
時代と、考え方で、人の人生の長さなんて変わってくる。
死ぬその時までがその人の人生だ。と思えてきました。
私は今まで50年間、決して、いい加減に生きてきたつもりはありません。
がむしゃらに、歯を食いしばって一生懸命前に進んでいるつもりでした。
でも実はその場で足踏みをしていた私には、周りを見渡す余裕がありませんでした。
50年もの間、歩いているつもりで、実は足踏みだけをしていたのです。
5ヶ月前に、足踏みをしていることに気が付き、足踏みをやめて周りを見渡すと、
そこには今まで目にとまらなかった様々な景色が飛び込んできました。
そして、そんな私の背中を友人が「一緒に歩こうぜ」とそっと押してくれました。
自分自身がこれからどうなりたいのか、今までの人生は悔いなく生きてきたのか、
このままでいいのか、と自問自答し「やるなら今しかねえ」と心に決めて
私は一歩を踏み出しました。
きっと世の中には、私と同じように、「ゴールはまだか?」と思いながら
一生懸命その場所で、足踏みをしている人たちがたくさんいると思います。
これから、私と出合うたくさんの人たちにも、私の時と同じように、
一歩を踏み出す手助けが出来たら良いな、見たことがない景色を見させてあげられる、
そんな手助けが出来る人間に私もなりたいと思う。
次は私が、銭にならない歌を歌っている人達に、
「出世払いでいいからとっとと食えって」言ってあげる番だと思いました。
今、私の周りにいてくれる人たちに感謝を、
今でも私を支えてくれている家族に感謝を。
そして、新しい景色を見させてくれる為に、「足は前に出すもんやで」
と、背中をそっと押してくれた、友に感謝を。
人生、あと50年(化け楽天世界では、一瞬の出来事かもしれないが)
ここから歩き出すのもいいと思いませんか?信長さん
やるなら今しかねぇ。やるなら今しかねぇ。

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