人の真価は何で決まるか?
わかりやすい所では収入、仕事の成果、名声等だろうか。
人それぞれ答えや信念があると思うが、
日頃、なかなか考える事は少ないと思う。
例えば転職活動などの人生の岐路に立った際に、
初めてそれを問われることになるのではないか。
その際、ひとつのモノサシとして持っておきたいのは
自分という存在に、どれだけの人が集まるかという部分だ。
「肩書きが無くなっても今まで通りにビジネスや人付き合いが続くか?」
「積み上げてきたものを失っても手を差し伸べてくれる人がいるか?」
これについては、自分の父親のことを思い出す。
父は残念ながら、私が16歳の時に病気で亡くなってしまったが、
自身の価値を客観的に見つめなければならないタイミングの多くで、
父親の生き方を基に考え、決断をしてきた。
父親は、小さな映像会社のカメラマンとして働いていた。
家庭では、休日は家でグルメ番組、釣り、ゴルフの打ちっぱなしなど、
趣味を楽しむ至って平凡な人という印象しかなかった。
取り返しのつかない病気が見つかった際、
本当に多くの人達が、父親宛に激励の連絡をくれ、
自分の時間を割いて医者探しをして下さり、
気晴らしになれば、と父親を色んな場所へ連れて行って下さった。
治療の甲斐なく亡くなり、通夜当日、想定を大幅に上回る方達が
お別れを言いに来て下さり、座敷に人が入りきらないという状況にさえなった。
当時は高校生だったが、その記憶が鮮明に残っている。
父親の会社・友人・親戚をはじめ、多方面の方達から、
父親の人物像や生き様を聞かされたが、
皆言うことがばらばらだったので、
結局のところ、何が本当なのかは今でも分からない。
ただ、当時、多くの方達に支えられて立ち直れたこと。
そして、それは父親の生き方がもたらしてくれた事は
間違いないということだけは、強く脳裏に刻まれた。
だからこそ、人の心遣いや誠意を当たり前とせずに、
心からのお礼を伝え、それに加えて必ず結果報告もする。
逆に、困っている知人がいれば、直接何もできなくても、即座に心遣いの連絡を入れる。
これだけは、何があっても貫き通そうと決めている。
そのおかげかどうかは分からないが、今までの人生でも、
「どうしても助けが欲しい」と自分が思ったタイミングで、
不思議と人のご縁に恵まれてきように感じる。
まだまだ、もらってきたもののほとんどを返せていない状態だが、
助けて下さった方と同じように自分も誰かのためにできる事を考え、
どんな些細なことでもいいから実際の行動に移していきたい。
そこに自分自身の人としての真価が問われると考えている。

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