生きる偏差値

この言葉は私の先輩がいつも口にする言葉である。
生きる偏差値とは人間社会を生きていく上で
自分がいる環境下においてどのように立ち居振る舞うかを指す。

言葉や行動にて人間の生きる偏差値を測定できるとするものであり、
よくサクセスストーリーや著名な経営者が科学的な論点から
話しているものとは少し方向性が違うものになる。

同じことをしても怒られる人もいれば怒られない人もいる、
良いことをしているのに褒められる人と褒められない人がいる。

この差は一体何なんだろうか?

行間を読む力、話し方、仕草、熱量
人の心の僅かな隙間に入り込む能力や
人間同士における心の距離を推し測れる能力。

この力は学校での教育課程に組み込まれてはいないが、
人間の成長過程においてのいつ頃に形成されるものなのだろう。
推測するに、ある集団や個人の意思が集まる場所で
自身の意思を通すためにどのように立ち向かうかに直面する事。
こういった環境下でなければ生きていく力を養うことはできないのかもしれない。

「どうすれば怒られないだろう?」「どうすれば喜んでもらえるだろう?」
常にこんなことを考えていなければならない環境で過ごすと
次第に五感を超えた第六感が鍛えられる。

研ぎ澄まされた五感や第六感はビジネスに活かされている。
この能力は今後の社会で更に必要とされるのかもしれない。

東京オリンピック開催に伴い、異国の方が日本を訪れること、
更に日本での就業場所を求めていらっしゃることは間違いないだろう。
多様化していく社会の中で個々が生きていくためのサバイバル戦術。

時代や環境が変化しても自分自身の存在意義や何かの発信ができることなど、
個人の能力開発はますます求められるだろう。

社会が求める指標数値として「生きる偏差値」が公用語となる日が来るかもしれな
い。

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